2021年の総選挙で共産党のマンガ・アニメの表現に関する政策が話題になった。
その際に、ぼくも記事を書いた。
ぼくは「カジを切っていない」とは結論づけた。しかし叙述が乱暴すぎる、と批判した。
この記事を書いた他に、共産党の中央に意見も出した。
総選挙が終わってしばらくしてから、共産党のある街頭演説をぼんやり聞いていたとき、演説を終えた、にひ そうへい元参議院議員がぼくのところにやってきて、「紙屋さん、あなたの意見を読みましたよ! 中央の担当部署でも共有しています」と笑顔で話しかけられた。演説後の非常に短時間ではあったが、「ぜひ今度話しましょう!」と、にひ元議員から言われた「あ、読まれてるんだ」と思った。
さらに、田村智子政策委員長が講師を務めるジェンダー問題の学習会があり、質問・意見を募集していたので、遠慮なく書いて出した。
上記の記事のときは「児童ポルノの定義を、『児童性虐待・性的搾取描写物』と改め」ることは、共産党議員の質問を引いて、特に問題ないとしていたが、その後、永山薫「マンガ論争」編集長などいろんな人の意見も聞いて、変えるなら「描写物」ではなく「記録物」の方が間違いないと思い直した。その結果、田村議員への意見には「記録物」への改定にすべきではないかという点も付した。
つまり出した意見は、上記のブログ記事+「記録物」への改定を求めるものだった。
さらにこれに加えて、現実ではアセクシャルでありながら同時にフィクトセクシャルであるような人の性的指向/嗜好を含めて尊重することこそが本来的なジェンダー平等の立場ではないのか(つまりマンガの性表現を規制することは、これらの人々の性的指向/嗜好を抑圧することにつながる)という点も書いた。
この意見は大要が学習会で読み上げられて(ぼくの名前はもちろん出てこない)、田村議員が回答した。「意見を深く受け止めて政策を見直すよう検討します」と言ったのである。
ぼくは「マンガ論争24」において、荻野幸太郎・うぐいすリボン理事と対談をし、次のように見通しを述べていた。
今回ものすごい抗議が寄せられているんじゃないかと思いますね。ジェンダー関係の部門に。そういう抗議が集まれば、そこは党として普通に考慮をして、これからの政策に反映をしていくんじゃないかっていうふうに思いますけどね。全く聞く耳を持たれないってことは、ないんじゃないかと思います。(同誌p.36)
それで、2022年の参議院選挙では果たしてどうなったのであろうか。
マンガ・アニメの規制に関する政策は、文化部門とジェンダー部門で分かれていた。
まず文化分野での政策。
「児童ポルノ規制」を名目にしたマンガ・アニメ・ゲームなどへの法的規制の動きに反対します。青少年のゲーム・ネットの利用について、一律の使用時間制限などの法規制に反対します。
明快である。
これは前回も明快だった。(前回2021年総選挙は「『児童ポルノ規制』を名目にしたマンガ・アニメなどへの法的規制の動きに反対します」だけであった。)
そして問題のジェンダー分野の政策。
こちらはどうなったか。
まず、2021年の総選挙政策を振り返ってみる。
児童ポルノは「性の商品化」の中でも最悪のものです。児童ポルノ禁止法(1999年成立。2004年、2014年改正)における児童ポルノの定義を、「児童性虐待・性的搾取描写物」(※)と改め、性虐待・性的搾取という重大な人権侵害から、あらゆる子どもを守ることを立法趣旨として明確にし、実効性を高めることを求めます。
(※)ここで言う「描写物」には、漫画やアニメなどは含みません。詳しくは下記のリンクをご覧ください。
「共産党は表現規制の容認に舵を切ったのですか」とのご質問に答えて - 日本共産党 個人の尊厳とジェンダー平等のための JCP With You
現行法は、漫画やアニメ、ゲームなどのいわゆる「非実在児童ポルノ」については規制の対象としていませんが、日本は、極端に暴力的な子どもポルノを描いた漫画やアニメ、CG、ビデオ、オンライン・ゲーム等の主要な制作国として国際的にも名指しされており、これらを適切に規制するためのより踏み込んだ対策を国連人権理事会の特別報告者などから勧告されています(2016年)。非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります。「表現の自由」やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会的な合意をつくっていくために、幅広い関係者と力をあわせて取り組みます。
これが、今度の2022年参院選政策ではどうなっただろうか。
児童ポルノは「性の商品化」の中でも最悪のものです。児童ポルノ禁止法(1999年成立。2004年、2014年改正)における児童ポルノの定義を、「児童性虐待・性的搾取記録物」(*「記録物」とはマンガやアニメなどを含むものではありません)と改め、性虐待・性的搾取という重大な人権侵害から、あらゆる子どもを守ることを立法趣旨として明確にし、実効性を高めることを求めます。
日本は国連機関などから、極端に暴力的な子どもポルノを描いた漫画やアニメ、CG、ビデオ、オンライン・ゲーム等の「主要な制作国となっている」と批判されています。ジェンダー平等をすすめ、子どもと女性の人権を守る立場から、幅広い関係者で大いに議論をすすめることが重要だと考えます。「表現の自由」やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会にしていくことが必要であり、議論と合意をつくっていくための自主的な取り組みを促進していくことが求められています。そうした議論を起こしていくことは、「児童ポルノ規制」を名目にした法的規制の動きに抗して「表現の自由」を守り抜くためにも大切であると考えています。
おっ…!
大幅に修正されているではないか!
「描写物」は「記録物」となり、「非実在児童ポルノ」という表現は撤回されている。
国連の動きについては記述が残っているが、規制に着目した記述はなくなった。
そして、「非実在児童ポルノ」として扱われたマンガなどが「子どもの尊厳を傷つけることにつながる」と断定した記述も削除されている。
一方的な規制のための世論形成ではなく、ジェンダー平等を訴える側からの問題意識と、表現の自由を訴える側からの問題意識に両方目を配り、議論と合意を呼びかける政策になっている。
文化分野での「規制反対」の政策とあわせて読めば、その意図はいよいよ明快になるだろう。
少なくとも「2021年の総選挙政策以前の共産党」には戻ったと言える。*1
もちろん、ぼくはさらに言えばこれまでのマンガなどの創作物への敬意もしっかり表現された大々的な政策発表をさらにお願いしたいとは思うし、虚構以外の表現についてはどうかなどの問題は依然として残されていると感じている(議論が足りていない印象)。
だけど肝心なことは、共産党が政策を出して、世論や組織内外から反発があり、対話や議論があって、一定の見直しをした——そういう一連のプロセスがちゃんと機能したということである。(その間、ぼくが共産党から非難されたり、吊るし上げられたり、そういうことは一切なかった。逆である。むしろ敬意をもって接されたと言ってよい。)
政党なので、間違えたり、行き過ぎたりすることはある。
だけど、そうなったときに民主主義的なフィードバックが働き、修正できるかどうかがポイントだ。
今回それが果たせた。
それは共産党にとっても、日本の民主主義にとっても大事なことだったのではないか。
ちなみに、フェミニズムやジェンダー平等を掲げる立場から、特定の表現に対して批判することも旺盛に行われていいと思う。それ自体が言論の自由、表現の自由なのだから。そして、ぼくは自覚の乏しい男性の一人として、そうした批判を受け止める責任は一定程度あると考えている。この点については、繰り返しぼくは表明してきたところである。