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マクドナルド友達

今、現在進行形で4歳児を育てている私は、マクドナルドに足を向けて寝られない人間です。例えばちょっと出先で気に入らないことがあって道にごろんと倒れておヘソまる出し、青空を仰いで

「あたしはもう一歩もあるけない、お家なにそれぜったい帰らない」

そういう意味合いのことを言ってわんわん泣く我が子に

「ハッピーセット買ってあげるから!」

と言うと途端に涙を引っ込めてむくりと起き上がりスタコラあの赤に黄色の看板を目指して歩き始めるのだから助かることと言ったらないのですよ。ファストフードと幼児の組み合わせについては幼児の栄養教育食育に見識のある方には意見の分かれるところかもしれないけれど、何しろ私は育児に関してたいへんに大雑把というのかざつというのか拘りがあまりないもので、まあええやんけと時々それを買っています。かつて経管栄養児でマクドナルドのポテトをかみしめるどころかエンシュア(医療用の栄養剤)を鼻から流し込んでいた過去を持ち、現在もかなりの偏食の娘が嬉しそうに食べてくれるし、おもちゃや絵本もついてくる、嬉しそうだし楽しそう。

人はパンのみにて生くるにあらず、マクドもたまには食べるのです。

そう思っている私と4歳が出先で何か食べようか、それか買って帰ろうかという話になった時、巷にはそのテの、子どもむけの食事を売ってくれるお店はいくつもあるのに「じゃ、マクドで」となるのには理由がありまして、4歳はマクドナルドのレジカウンター、そこの店員さんの笑顔の横にやや遠慮がち設置されているプラスチックの募金箱に白銀の硬貨をちりんと入れることを自分の大切な決まりにしているのです。

それは『ドナルド・マクドナルド・ハウス』のサポートのための募金箱。

『ドナルド・マクドナルド・ハウス』というは、先天性のもしくは後天性の、そして重篤な病気のために都会の大きな病院で治療を余儀なくされた子どもとその家族の為の長期滞在施設のこと。公益財団法人ドナルドマクドナルド財団の運営するその施設は、その運営費用の多くを寄付で賄っているため、お家の形の募金箱がどこのマクドナルドにもちょこんと、かつちんまりと置かれているのだと私は理解しているのですけれど、何しろ財団法人とは全く関係のない人生を歩む市井の一個人なもので、公益財団法人というものが『行政庁から公益性を認められた法人』を指すということも今回初めて知りました。とにかくそれは、現在国内11か所の小児医療の拠点病院の側近くに設置されている宿泊施設で、そこではボンランティアの方が日夜病気と闘う子どもたちとその親御さんの生活を支えているそう、とても素敵なことだと思います。

でも娘はそんなことはよく分かってない。うちの娘はただ、その募金箱にぺたりと貼られている写真の男の子のことをここ数年ずうっと気にかけて、気にしているのです。それで毎回マクドナルドのレジの前に立った時に、レジカウンターの向こうからやっとおでこが少し見える位の背丈なもので、私に抱っこされて白銀の硬貨を、それは大体その時私のお財布にあるだけの100円玉だとか、500円玉を掴むだけ掴んでちりんちりんと流し入れているのです。

そのこだわりは何なのか。

それはその写真の子の顔に装着されているカニュラ、酸素を吸入するための透明の管が、今、娘の顔に装着されているものとお揃いだったから、それだけのことなのです。それだけなのですけれど普段、街を歩いていて、あるいは娘の通っている幼稚園で、透明に細い酸素用のチューブを身体に繋いでスタコラ歩いている子どもなんてまず見ないし、4歳はそれを取りたてて嫌だとか、恥ずかしいとか言ったことはないのだけれどそれでも

「なぜわたしだけなぞのホースをつけてまっくろのボンベ(携帯用の酸素ボンベは黒い)とくらしているのかしら、そもそもどうしてわたしだけしんぞうのびょうきなのかしら」

などとこころ密かに思っていたのかもしれない。それか絶滅危惧種の動物がひとりぼっちの動物園でこの世界のどこかにいる仲間を求めるようにして、同じような子どもを強く求めていたのかもしれない。


だって娘が3歳になる頃、初めてその募金箱を目にした時の娘の驚きと喜びは大変なものだったのですよ。私が、カウンターの上に募金箱があるからお金を娘がいれるといいよと娘に100円玉を持たせて娘の体を抱き上げて、カウンターの上によいしょと半身を乗りだすような恰好をさせた時、そこに全くお揃いの医療器具をつけた子が微笑んでいてそれを

(あなた、こんなところにいたのね)

娘がそう思ったかどうかは聞いていないのだけれど「おそろい!」と叫んでそれ以来、娘はマクドナルドに行く時には必ず募金箱にお金を入れる人になり、そして時折

「おともだちってさ、なんさい?」

だとか

「おともだちどこのびょういんなん?」

などと聞くようになったのです。娘には同じカニュラをつけた現実的な『病気のお友達』はいないのですけれど、生まれて今日まで長い長い治療の旅を共に頑張っている会ったことのない『病気のお友達』 がインターネットの窓の向こうに何人かいて、その子達は娘の暮す土地とはまた違う土地の病院に、神奈川県立こども医療センターだとか、国立成育医療センターだとか、国立循環器病センター…とにかく国内有数の小児医療の砦のような病院で今日も頑張っています。

それだからなのか、娘には『病気の子』というのは誰でも友達であるという認識のよう。

そして私にもややそれに似た感情というのか認識があるのです。

病気の子どもを抱えて長い付き添い生活にあるお父さんやお母さんというのは、全く見ず知らずの私とあなたですけれど、それは仲間であるというか同志であるというような認識が、まあたいへんに手前勝手なことですけれど私にはあります。あの熾烈な戦いを潜り抜けたことのある者の持つ連帯の気持ちみたいなものが、私からその写真の子の傍らで微笑む可愛らしいママにいつも向けられているのです。

それでもまさか、娘があの子のことを

「お友達、退院した?」

なんて、そこまで気にしているとは思いませんでした。

それは夏休みのある日、この娘と、その上の13歳の息子と10歳の娘のお昼ご飯を作る事が最高に面倒だった私は例によってマクドナルドに行き、ハッピーセットだとかエビフィレオだとかを頼んでいてその時、娘がふいに何の脈絡もなくそう言ったのです「お友達、退院した?」。

それは、娘のインターネットを通じた遠くのお友達がこの夏、ちょっとした検査や手術や感染症、そういう色々でしょっちゅう入院しているがゆえの心配ごとで、入院しているその時に予定外のあまり良くない事が幾度となく起きてそれで退院までうんと長い間、半年以上かかってしまったというお友達もいる4歳は、あの子はずっと同じ写真のままだけれど、いったいちゃんと元気になったのかどうか、それをずっと心配していたようでした。

(ひとは生まれて4年も経つと色々のことに気を配るようになるものだ)

そう思った私はその娘のその一言を、インターネットの、Twitterの140文字に認めてそこに流したのです。


私はいつも短い文章を書いてタイムラインにそっと置く時には、小瓶に手紙をつめて海に流すような気持ちになるのですけれど、書いてからそして流してしまってから

「あ、しまった」

と思ったことがあってそれは、病気の子どもというものはみんながみんな元気な退院の日を迎えるという訳ではないということでした。とても辛いお別れをすることになる子もあるし、4歳も永遠の離別の意味を知っているのかどうか、それはわからないのですけれど、遠く天国という場所に引っ越すお友達があるのだということは、おぼろげに知って分かっている模様。

それだから、私のその一言が誰かの口の端から誰かの口の端を通じて関係者のどなたかに届いてそれが実際は「じつは残念なことに…」ということだったら、そんなこと呟いてしまったこと自体が申し訳ないなあと思っていたのですけれど、あるドナルド・マクドナルド・ハウスでボランティアをしている方から「聞いてみますね!」というお返事を頂いていたこともあって、このつぶやきの手紙を消してしまうのものなあと思っていたのでした。

そうしたら昨日「聞いてみますね」とお返事を下さった方から

「写真のお子さんは無事おうちに帰られているそうです!」

そう連絡をいただいて私はとても嬉しい。何しろ同じ病院でもともに入院生活をおくっていた子がいつの間にか病室から消えて、それである日定期健診の小児外来でその子を見つけた時の互いの挨拶が

「生きててよかった!」

なんてことが普通である業界のこと、途中で病気が篤くなり、そして静かになないろの虹を渡りましたということが、考えられないほど多い世界のこと、無事に退院して帰宅していますという言葉の意味はとても、とても重く尊いのです。

娘もとても喜んでいました。

あの写真の子のことは「現在は入院していません」以外は何も分かりません。

退院できたと言っても、例えばもしうちの娘のような生涯根治することのない疾患であるのなら、またちょこちょこと検査やメンテナンスで入院することがあるのかもしれないし、偶発的に突発的な後天性の病気でそれが良くなってあとは定期の外来に通って注意しながら暮らしているのかも。ともかくも一度大きな病気にぺっとりくっつかれてしまった子は病院との縁はなかなか切ることは出来ないもので、そこには普通の子どもとは少し違う生活と人生があるのです。

そしてその子どもに伴走するお父さんお母さんもまた、普通の子育てとは少し違う子育てをすることになって、それは同じような状況の人の周りにごく少ない、ちょっと寂しいものであるのですが、それでも時折こうやって

「遠くで応援しています」

「遠くで頑張っています」

そうやって互いに手を振りあえる瞬間があると嬉しいなあと、私は思うのです。

お友達が退院していたこと、本当によかった。私も娘も、あのお友達とはぜんぜんなんにも関係のないどこかの誰かですが、いまとても嬉しい。





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