霞ヶ関に東大生を洗脳させて年収2000万で雇わせることで日本を先進国にしろ

あらすじ

本邦が終わっていることは周知の事実で、どこに行っても、開口一番「日本って終わってますよね」と言えば、その場におけるインテリの地位を確立できる。一方で、その言葉の裏には、長年の羨望――つまり、いつになったら日本は『一等国』になれるのか――があるのも事実だ。

この記事では、本邦がいかに終わっているかを概観し、その後、霞ヶ関が東京大学の新入生を洗脳して年収2000万の俸給で雇うことによって、日本がOECDの一員として恥ずかしくないレベルの先進国へと発展するだろうと論ずる。


本文

問題たち

四つの階層に四つの問題がある。


1

一つには、本邦の貧困化だ。総体として語れば、20年度の実質成長率はマイナス5.2%という悲惨な実情がある。もちろん、これはコロナ禍における経済成長なので、本邦の真の成長率とはあまり関係がない。信じた人は反省して欲しい。もっとちゃんとしろ。

ただ、Googleで少し検索すれば、その影響を差し引いても芳しくないことが分かるはずだ。経済成長の鈍化は、国際的な位置づけの低下と相関する。従って、日本の貧困化と紐付く。全世界が一斉に貧乏になる、というようには世界はできていない。

確かに、GDPが『成長』を表現できているかには微妙なところがあるかもしれない。では、より実情に即した指標を見よう。そのような指標としては、最低賃金が挙げられるだろう。去年の7月に行われた中央最低賃金審議会の議事録の伊藤委員の発言は極めて示唆的だ。

一方、日本の最低賃金が抱える課題というのは、このコロナ禍においてなくなったわけではなくて、むしろ顕在化したものと考えております。まず1つ目の主張ですが、日本の最低賃金につきましては、皆さん御承知のとおり最低額790円、最高額1,013円でありますけれども、最高額の1,013円、これをもってしても、2,000時間働いても年収200万円程度に過ぎません。このことは憲法第25条、それから労基法第1条、最賃法第1条、こうした法の求める健康で文化的な最低限度の生活を営む、これに足る水準としては決して十分なものとは言えないと思います。

もちろん、最低賃金は、少なくとも物価によって校正された後にのみ意味を持つ。しかし、読者のほとんどは日本がどのような物価で動いているかを知っているだろう。200万円だ。これでも十分だという人もいるだろう(私だ)。ただ、この年収200万が、全ての人への最低給料だということを考えて欲しい。もし、この日本で、年収200万で生活することを強いられるとしたら、それは適正だろうか?

200万円――この価格を覚えていて欲しい。人間を飼うのに必要な経費だとして。

私は行政を非難したいのではない。行政は年3%を目標として最低賃金を上げ続けているし、それは素晴らしいことだ。私が言いたいこと、それはつまり、ここに問題がある!ということだ。


2

二つ目に、交流の感覚が欠如していることだ。我々は貧困問題について聞いたことがある。我々はホームレスを見たことがある。痛ましいとも思う。技能実習生の問題について見たことがある。平均的な成人男性未満に扱われる人の範疇があることを我々は知っている。そのような範疇が減縮されなければならないことを知っている。そして声を上げたり――この比喩が気に入らなければ、Twitterのハッシュタグを使ったり、投書したり、電凸したり、買収したり、脅迫したり、ステークホルダーの妹を輪姦したりして――知らしめている。ここに問題がある!

そして、実際に、これらの問題は行政によっても、ジャーナリズムによっても、立法によっても取り扱われている。Google検索でsite:go.jpとつけて検索してみれば、優秀な官僚達が、真面目な調査員達が、大学人やメディア関係者が、なんとかしてこれらの問題を解決しようとしているのが分かる。

つまり、我々の声はすくい上げられているか、すくい上げられる順番を待っている。それは間違いない。全ての声が一斉に取り上げられ、一斉に応えられるべきだ、というのも正しい。しかし、実際は、行政の窓口も官僚も時間も有限だ。問題に順番がつけられているのは、我々に無限の処理能力が無いからだ。

だが、と我々は思うはずだ。だが、私たちは満足できていない。私たちの声は十分に応えられていない。私たちが #検察庁法改正案に抗議します #スガやめろ #レシピを見せろ安倍晋三 #大仏建立しかない とキレ続けてきたことへのリアクションはあまりにも薄い。もっとソリッドなものを求めている。スマートフォンでタップしてTwitterに放流して、そしてその結果が明確に現れるのを待っている。素早く、確実に、目に見えるような具体性を伴って。極端に下がった政治参加の障壁は、その反映の入手可能性も極端に低く見せてしまう。

カストリアディスが『意味を失った時代』で言うように、男であることが、妻であることが、子供であることが、ある集団にいることが、あなたが何をするべきか伝えなくなっている。あなたは自由で、全てがあなたの選択によって決定されるべきになりつつある。

そして、その反動として、全てが 趣味か政治 ( ホビーかロビー ) になっている。私たちは私的領域でも公的領域でもむき出しの個人として扱われる。そして、その見返りとして、相手にも――『総理大臣』『官僚システム』としてではなく――肉が露出した個人として存在することを求めてしまう。安倍晋三に陰茎の提示を求めるクソガキを見れば分かるだろう。


3

三つ目には、あらゆる領域で英知が求められるようになったにもかかわらず、日本のエリート層が浪費されていることがある。現代において、東大の大学院を出た極めて優秀な科学者は『山梨の中卒がスマホで広告をクリックする率を高める』仕事を、データサイエンスと称して行う。古代ギリシア語に精通し、ドイツ哲学を専攻していたやつは、今では丸紅で『納期を守れと伝えるという業務の納期を守れ』と下請けに伝える仕事の納期を管理している。

何かが間違っている。

FaceBookのデータチームにいたJeff Hammerbacherが『我々世代の最高の頭脳達はどうすれば人々に広告をクリックさせられるか考えている。最悪だろ』と言ってからすでに10年が経とうとしている。武器は確かに強力になった。我々は今や数ペタのデータを扱えるし、巨大なニューラルネットを訓練できる。

しかし、依然として、Amazonは私の好きそうな本をおすすめしてくるし、メルカリは写真を撮ると自動的に商品の説明を入れてくれる。便利に売れるように改良されている。それに世界の最高の知性と最高の技術が用いられている。 アプリを便利にするためだけに。


人文系は何をやっているのか? 彼らの知性は疑いようがない。少なくとも、池内恵青山弘之のような優れた中東研究者がいなかったら、我々がアラブの春について、系統だった議論を手に入れることはできなかっただろう。流れてくる情報に紐付けられた『これは偏向されている』という荷札に気がつくこともなかっただろう。

そんな彼らは今、インターネットでツイバトルをしている。Twitterで議論するのはやめようよ、脳が粉々になるよ。しかし、脳が粉々になることは不可逆的な作用で、彼らが元に戻ることはない。中公新書の編集者にモラルが残っているうちは、『ツイフェミというホモソを批判するホモソおばさん』とか『理屈をこねるだけで何もしない、インセルとかいう意味不明のカス』といった本が印刷されることはないだろう。しかし、モラルがどれほどのものだろうか?


そして官僚だ。省庁に勤める彼らは本邦の基幹をなす極めて重要な人々で、今だに本邦がなんか変なキモい極東の国だと露見していないのは、ひとえに彼らの努力によるものだ。

例えば、経済産業省の政策ページを見て欲しい。このページから適当にリンクを踏んでいくだけで、世界における日本のロボット産業の位置づけと今後の発展方針の骨子が分かる。電子投票の欧米諸国においての導入と課題が分かる。しかも、全てが日本語で書かれていて、全国民に開かれている。9ヶ月も更新が止まっているバカみたいなブログを読むことよりずっと知的に興味深い。おそらく、日本の英知が集まっていると言っても過言ではないだろう。

しかし、これらの業務に従事する職員の待遇は極めて悪い。不夜城と言われることからも分かるように、彼らは午前3時まで仕事をし、8時からまた仕事を始める。月80時間が過労死ラインだと言われているが、日経の記事によれば、20代では3割もの職員がこのラインを越えているという。越えちゃいけないライン、考えろよ。

だが、彼らも好きで残業している訳ではない。彼らと同程度の知的能力を持つ人員が少なく、仕事量が多すぎるせいで、彼らは奴隷のように働かされている。『残業代がちゃんと払われてよかったね』というのはひどい詭弁である。非人間的な労働を強制させられ、彼らの人生が毀損されているときに、残業代が何になるだろうか? 奴隷に綺麗な水が支給されるからといって、奴隷制が認められないのと同様に、残業代は残業の免罪符にはならない。

そして、このような過酷な労働環境に身を投じるエリート達はどんどん少なくなってきている。東大生を責める訳にはいかない。愛国心が自己犠牲と結びついてはならない。自由経済と自己選択の時代にあっては、官僚を、霞ヶ関を魅力のある職業とする以外に道はないのに、本邦は単に人間をすりつぶし続けている。

何かが途方もなくおかしく、何かがものすごく変わってしまっている。


4

最後に、それらエリートになるだろう子供達のおかれる個人的な環境だ。もうちょっと平たく言えば、東大生の生きにくさだ。

今の日本において、東大と京大に入ってくる人々はもれなく賢い。我々なんかでは歯が立たない。彼らはゆとりもたっぷりあるし――いや、ゆとりは我々にもあったかもしれない――すでに溢れんばかりの知識がある。彼らはすでにひとかどの人物である。故郷には神社が建っているかもしれない。しかも間違いなく巨根だ。

そして、そのような子供達は、入学してから数年間でだめにされる。完全なカスにされる。勃起時3センチのカスチンポにされる。薄汚い犬のような目をして、金と性器以外に信じるものをなくす。月収50万円で満足して、そのまま栃木あたりで結婚する。妻を殴って生活する。

このような人間を、諸君らがなんと呼ぶかは知っている。東大に入ったはいいけど、そのまま何もできなかった人、才能の無かった人、大学に入ってから努力しなかった人……東大までの人

東大までの人。馬鹿げた話だ。職場で君の隣に座っているやつを、『東大までの人』に代えてみたまえ。おそらく、君は自殺したくなるはずだ。君は自分の矮小さ、無能さ、傲慢さを自覚することになる。自分がいかに駄目かを思い知る。このダメチンポ。そしてロープと椅子をAmazonから買うことになる。『よく一緒に購入されている商品』に便箋と封筒が出てくる。君はつい買ってしまう。書くべきこともないのに。


東大生がどのようにダメにされているか知っているだろうか?

四月に入学した東大生のうちの一握りは、『東大王』『頭脳王』といった、はっきり言って彼らの才能とは全く関係ないことをさせられ、容姿を批評され、何の理由もなく叩かれる。なんJでオナネタにされる。

残りの東大生は、「『東大王』見てる?」と聞かれている。飲み会でクイズとかさせられている。「『カップラーメンかドライヤーか割り箸』っていう小説ありそうだよね?」と言われる(これはひどい文章で、書かれるべきではなかった)。ちょっと確定申告で脱税でもしたら、『東京大学の学生 確定申告で不正 歪んだエリートの自画像 欲にまみれた野望』などと書き立てられる。自己紹介で「東大です」と言おうものなら、そのときから個性は完全に剥奪され、単なる『東大の人』にすり替えられる。東大の人の意見はありますか? 初対面でいきなり、「東大の人って童貞って聞くんですけど本当ですか?」と上智大学文学部比較文学科のカスに笑われる。

ここに、世間で称揚される自分らしさなどはない。個性の輝きもない。助け合いの精神もない。二つに分極した反応があるだけだ――神格化か侮蔑かという。

さて、ここで聞くが、なぜ彼らが、上智大学文学部比較文学科の人間の生活をよくしないといけないのだろうか? 一体、この世のどこに、それを義務づける宝物があるというのだろうか? なぜ、官僚にならなくてはいけないのだろう? なぜ覚醒剤をやってはいけないのだろう? なぜ国外の研究所に行ってはいけないのだろう? なぜ学部卒で働いてはいけないのだろう? なぜ国際社会に通用する人物にならなくてはいけないのだろう? なぜ、我々全員を見捨てて、別の惑星に、紫水晶の瞳をした優しい恐竜しかいない惑星にいく権利が彼らにないといえるのだろう?



挙げてきた問題をまとめれば、経済、政治、学問、そして、それらを作り上げる人材の人生の問題といえるだろう。問題は多岐にわたる。解決する道はないように見える。少なくとも、一つの道があり、どんどん進んでいけばいいようには見えないかもしれない。

だが、それがある。霞ヶ関が東京大学1年生を拉致して6年かけて洗脳して年収2000万円で雇う――これが全てを解決する。

ただ、これで「ああ解決するんだ」と思って欲しくはない。いや、思ってもいい。思ったらここで話は終わりだ。あなたは 、

  1. 自分の保険を信頼の置ける人に見直してもらう
  2. 通帳を記帳して、無駄使いがないか信頼の置ける人に確認してもらう
  3. 友好関係を見直し、自分が師であると仰ぐ人がパイプ爆弾を密造していないか率直に聞く

などのことをしたほうがいい。あなたは心根のいい人だから、きっと幸せになれると思う。少なくとも、私はそう願っている。ではさらばだ。

さて、残った諸君はもちろん、「理由を述べよ」と言うはずだ。だから私は理由を述べよう。霞ヶ関が東京大学1年生を拉致して6年間かけて洗脳して年収2000万円で雇うことで、問題が全て解決することの理由を。


解決

1

私の提言は局所的なことだから、局所的な議論から始めよう。つまり、我々は、まずこれが東大生の生きづらさを解決することを見て、それが学問における日本の再興を助力することを見、さらには政治、経済への波及をたどる、という議論をする。

ただ、この第一ステップは極めて自明に思われる。洗脳された東大生が生きづらさを感じることがないのは、あまりにも当然だからだ。彼らは社会から取り除かれ、薬物を投与され、その目的のために全てを捧げることになる。何が生きづらいのだろうか?

想像力を働かせてみたまえ。あなたは朝5時ぴったりに起きる。舌下にカフェインの錠剤を入れる。机の上には極めて大量の仕事が積んである。一つはODEC諸国における電子通信傍受法に関する資料をまとめること、もう一つはEU圏内における5G設備への破壊発動がどの程度で、日本においてはどれほどになるかの見積もりを作ること。次は3-キヌクリジニルベンジラートについてのサーベイ(これは君に投与されているカクテルの一部だ)、その次はSNSにおいて……つまり、君にはやるべきことがひたすらにある。あなたは多幸感に包まれている。それに奉仕できることは高貴な仕事だからだ。必要ならばいつでも使えるセックスワーカーでもあてがってもらえる(もっとも、それを使うのはまだ性欲が残っているうぶな新入りだけだ)。

しかも、給料もついている。厚生労働省の行う2019年 国民生活基礎調査の概況によれば、2000万円以上の所得を持つのはわずか1.2パーセントである。資本主義の社会においては、およそ全てのものに値段がつく。従って幸福にも値段がつき、およそ、洗脳された東大生の得られる幸福は、最低限度の幸福のおよそ10倍にもなる(最低年収が200万だったことを思い出して欲しい)。

従って、洗脳された東大生が物質的にも精神的にも満たされた状態になるのは間違いなく、そして生きづらさが徹底的かつ永久的に解決されるのも自明のことだ。

いくつかの懸念を私は感じ取ることができる。しかし、聞いて欲しい。東大生が働いてきた狼藉のことを思い出して欲しい。『光クラブ事件』もあろう、『東京大学誕生日研究会レイプ事件』もあろう。最近では痴漢によって同じ東大生が3年連続3回しょっぴかれたこともある。全員男だ。女は知らない。女は無罪なのかもしれない。現代においては、すべての男は即座に存在を抹消されるべきなのかもしれない。私はそうは思わないし、詳しくない。おそらく、Twitterではいつもこのテの議論がなされているはずだ。そちらを見たまえ。

とにかく、このような痛ましい犯罪は起こってはならない。もちろんのことだ。殺人などは起きないほうがいい。レイプも少なければ少ないほどいい。痴漢もだ。

しかも、東大生が起こす犯罪は、その影響力が他の大学と比べて高い。上智大学文学部比較文学科のカスが性犯罪を起こしても、多くの人は、鳥が飛ぶのと同じようにしか思わないはずだ。鳥は飛び、水は流れ、上智大学文学部比較文学科の学生は痴漢をする。そういうものだ。一方で、東大生が犯罪を起こす――これは社会を不安定化させる。賢治君、コンドームくらいしてよ、私のことも考えてよ。でも東大生もゴムなしでやってんだぜ……というわけである。そのリスクを考えると、東大生はできるだけ温調な形でできるだけ社会から取り除かれ、しかし公共の福祉のために役立つべきだ。

もちろん、人権の点から反論をする人がいるだろう。人には生まれ持った自由があると言うだろう。極めて限られた観点から人権を評価しても、少なくとも洗脳を肯んずることはできない、ということだ。これには二つの点から反論がある。

まず、自由意志はないという反論だ。多種多様な薬を飲み「生きづらさがへった」「人間になれた」と言っている人がいることからも分かるように、人間の意識とは、分子の濃度とニューロンのつながり具合でしかない。そして、我々は洗脳において、大仰な言葉とは裏腹に、このような科学へ還元が可能なものを取り扱っている。要するに、東大生の脳とはモノなのだから、レゴブロックに対して「あなたを使ってスペースシャトルを作っていいか」と聞く必要がないのと同様に、人間に対して「あなたを洗脳していいか」と聞く必要はない。

もう一つの観点は、なら自発的な手続きとして洗脳を行えばいい、ということだ。多くの人が認識しているように、高校や大学といった高等教育システムは、アジア的な優しさを持った清純な少年少女達を西洋的プロパガンダで汚損する機関であり、これは『入学願書』によって自発的な行為だと見なされている。おたくのご子息さんが大学入学とともに現代の抑圧的な構造だか構造的な抑圧だかに気がつき始めて、おたくの家に存在する二次的不正義を修正するために家族システムの自発的な解体を要求してきた? しょうがないでしょう、おたくのご子息さんは望んでそれを勉強なされたんですよ、ほら、入学願書が……という訳だ。

要するに、同意書を取ればいい、ということになる。このようなフォームでよい:

性別

同意書

これで自由意志と人権の問題にはけりがついた。

おそらく、解決するべき問題は、どうやって洗脳するのか? という一点に集約される。しかし、私はこの問題に関しては楽観的だ。一つには、私が科学の進歩を信じているからであり、一つには、ヒトの認知に関わる実験を制御できるようなシステムに日本がないからだ。学術会議は政府が手を下すまでもなく瓦解しようとしている。代替となりそうな日本版AAASは、このような場面での抑止力にはならない。つまり、我々は洗脳に関する研究をやり放題だ。

さらに言えば、日本がアメリカの州であることはよく知られた事実だが、米国では昔から洗脳の研究が進んでいた。例えば、CIAはかつてMKUltraという洗脳の研究プロジェクトを進めていた。DARPAはおそらく今も続けているだろう。アメリカの技術の実証する場として、日本を提供すれば、両国にとって大きなメリットになることは間違いがない。私はここで、76年前の出来事にからめて何か書こうとしたが、それはあまりにも不道徳で、私をより一層汚らわしくするだけだった。

なんにせよ、ここで一つ目の問題は解決された。霞ヶ関が東京大学1年生を拉致して6年かけて洗脳して年収2000万円で雇うことで、東大生は生きやすくなる。


2

では次に、6年も洗脳した東大生がどのような分野で貢献できるかを見ていこう。端的にいえば、それが筋肉や運動機能によって制限されていない限り、ありとあらゆる分野で彼らは貢献できる。

例えば、この、経産省の若手が書いたとおぼしきレポートを読んで見て欲しい。

これを作り上げた若者たちはとにかく素晴らしく、才能がとんでもなくあり、将来は間違いなく大物になり、とにかくすごく、数値では測れないほどの気品に溢れていて、それは写真からも伝わってくるし、少なくとも年収が3000万円か50万ドル無ければ構造的な搾取を疑ってもいいと顔から判断できる。

しかし、これは『2050年を見据えた』レポートではない。というのも、この世の誰にも2050年がどのような時代であるかを予測できないからだ。これは、2000年に2020年のことが予測できなかったように、1925年に1945年のことが予想できなかったように、人間には未来を予測する力がないからだ。

言ってしまえば、これは単に、2020年に何が流行っているかをまとめたものに過ぎない。

しかし、一体、この世の誰が、本気で2050年のことを考えられるだろうか? 私たちは基本的に私たちに基づいて考える。30年後、私はもう立派な歳になっているか死んでいる。そのような立場でしかものを考えられない。この肉体がまっすぐに時間を取るように、技術もまっすぐに進歩すると思ってしまう。自分の分野ではシングルセルRNAが流行っていて、順当に進めば、空間分解能も供えるようになるし、経時的にRNAを採取することで、経時的にもなるはずだ、などと思ってしまう。外挿してしまう。

だから、彼らには全く責任はない。我々の誰がやっても、2050年の未来予想図は2022年のようにしかならない。それは、我々に自我が残っていて、それを元に考えるからだ。

しかし――もう気がついているだろう――そのような自我を持たない、明晰な思考力を持った人々を我々は持っている。霞ヶ関によって6年間洗脳された東京大学の学生だ。彼らは卓越した頭脳を持っている。そして、我々がやれといったことを素早く、正確に実行できる。

つまり、洗脳された東大生は霞ヶ関に蔓延する人員の不足と質の低下を補うはずだ。もちろん、そのような洗脳が私企業によって行われることは許容できない。それはバッグドアの埋め込まれたプログラムを官僚が使うことに等しい。LINE聞いてるか? ゆえに、洗脳は霞ヶ関によってなされなければならない。

もちろん、東大生がどのくらい入手可能かは、東大に入ってくる高校生の生きづらさに依存するだろう。しかし、荒川区や世田谷区の生活環境を著しく低下させることで、東京大学に入学してくる子供達の心を荒ませることが可能だ。例えば、見ているだけで精通しそうなくらい煽情的なアバズレを配置し、ひたすらにガキの心身をもてあそぶなどが挙げられるだろう。

しかし、とここで誰かが私の前で人差し指を振るだろう。たとえ、全体の1%も東大生が収穫できても、たったの30人じゃないですか。これじゃ、暗殺部隊くらいしか作れないんじゃないですか?

実のところ、私は1%よりもずっと多い人数が同意書を書くと思っている。事実、東大生の4人に1人がアスペルガー症候群だと、これ以上無いほど簡潔に述べる著名人まで存在する(注:正直、私にはこの記事が何を言っているのかよく分からなかった)。

加えて、ADSで条件付けをしたときの不安障害やうつ病の罹患率に関しては、メタ研究まで存在するほどで、この論文の結果を考慮すると、アスペルガー症候群患者のおよそ2割ほどが生きづらさを感じているとみていいだろう。

これらを加味して、プログラミングによって計算すれば、年間、150人程度の高度人材を洗脳できることが明らかになる。これは暗殺部隊5部隊ぶんにもなる。

平時ならば、ここで、そのように洗脳される学生達のコミュニケーションや友好関係はどうなるのか、と聞かれただろう。人間は衣食住がそろって過ごして、それで十分というわけではない。最低限、他の学生との交流がなければいけない。それも、申請することで許可されるような、いわば計画づくの交流ではなく、キャンパスですれ違ったり、学食で会って雑談するといった形の偶有性がなくてはならない。いくら洗脳されて自由意志を奪われているとはいっても、その権利は保障せねばならない、と言われただろう。

だが、現在は新型コロナによって全てがオンライン化されつつある。大学のキャンパスは単に存在するだけで、学生の多くは今年度もZoomなどを使ったバーチャル授業を受けるだろう。そのような状況下で、一体、何が偶有性だろうか?

Slackのダイレクトメッセージは偶有性のほとんどを剥奪した。21歳の時、キャンパスで偶然、英語Cを一緒に受けていた女の子(ハルという名前で、紺色のブレザーしかアウターを持っていなかった)と出くわしたことがある。「ビッグバンセオリー見たわ」「やばいっしょ」という会話をした。Slackでこんなことは可能だろうか? 個人メッセージを開いて、「ハル👩ちゃん👴👴ビッグバン🎇セオリー👓見たヨ🥙🥗🍠 スイーツ🍋🍍🥬🥄🍴🍵🧃🍦 あと服を買え」などと言うことが、言語の発明以降認められたことがあっただろうか? つまり、すでにオンライン化によって偶発的な交流の道は閉ざされているのだから、今更、洗脳されていようがいまいが正直言ってどうでもいい、ということになる。

話を戻そう。我々は年間数百人の超エリートを洗脳できる。彼らにIoTでないほうのスマートドラッグを投与しまくり、彼らをバキバキの頭脳超人に改造することができる。彼らは任務に忠実で、やれと言われたことは忠実にこなし、そして疲れを知らない。正確には、疲れるかもしれないが、それならそのときだ。ファイレクシア人の言葉で言えば、『死は労働をやめる理由にはならん』ということだし、スウィフトの時代から我々は科学の英知を積み重ね、素晴らしい段階にまで達しているということでもある。もう少し率直に言えば、(東大生が)完全に壊れてしまったら、それを加熱してから粉砕して肥料にして、それで育てた野菜を(東大生が)食べれば、これは持続可能な発展であり、カーボンニュートラルであり、ヴィーガンである。

彼らはあまねく分野に広がり、忠実に職務をこなすだろう。コンピューターサイエンスの業界に参入すれば、ゆがんだフレームワークにとらわれることなく、一日五千行くらいRustを書いてメモリ安全なプログラムをひたすら生産するだろう。人文系に配送されれば、網野善彦が着手し、そして果たせなかった日本の古文書を収集し、一つの大きな――インターリンクされた――データベースとして作り上げるだろう。索引も高速かつ曖昧さに対応したものが作成される。ざっさくプラス(これは本邦における人文研究の金字塔の一つである)の土着版とでも言うべきものが手に入る。その中で我々は、向日村のキヨが付けた帳簿から兜町の巳吾郎の日記へと渡り歩きながら、祖先の生活を垣間見ることになるだろう。

これが文明でなくて何だろうか?

もしかすると、ここに機械的なものを感じるかもしれない。つまり、これは「人間の機械化」であり、機械にはできないことがたくさんあるでしょう、という訳だ。CoqAdgaLeanといった自動定理証明が数学者の代わりにならないように、人間を機械にしても得るところはない、という議論だ。

確かに、機械にできないことはたくさんある。完全性健全性は等式論理の外では過剰な要求だ。無限に広い集合から証明の『証拠』を選び出すことでさえ、機械には難しい。機械学習は別のアプローチを試みているが、白人男性の精巧な画像を生成する分野――そのような分野がある――においてくらいしか成功を収めていない。

しかし、考えてみて欲しい。ここにおいて行われるのは、「人間の機械化」などではない。確かに、洗脳された東大生にも清潔なシーツや食料、睡眠や気晴らしが必要で、この観点からすれば彼らは人間らしさを持っている。しかし、基本的に、彼らは道具として扱われる。つまり、彼らを表現するとき、我々は『~する機械』と言い、『~する人間』とは言わないだろう。彼らの本質はすでに機械であり、それらが人間的な柔軟さ――自然言語を理解することや、無数の選択肢に惑わされず証明をたどれることや、『意味のある』議論をすること――を備え付けられている。

要約すれば、我々が行っているのは、実際は「機械の人間化」だ。機械にできないことがたくさんあるからこそ、我々は機械に人間的な部分をあえて残し、それがかつて無い処理能力で働く、と言い換えてもいいだろう。 やわらかな機械 ( ソフトロボティクス ) 、研究をする機械、統計処理をする機械……機械って言っては申し訳ないが、洗脳する東大生の数は決まっている。『~する』機械、装置の数は決まっているのだから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない。

しかし――とまだ諸君は食い下がるかもしれない。研究はどうですか? と。

研究は人間的なものでしょう? iPS細胞の山中伸弥教授も「科学とは予想もつかないもの」と言っているじゃないですか。洗脳されて言うことしか聞けなくなった東大生には研究なんて無理ですよ。発想力が大事なんです。目標ありきで科学は進みません、イマジネーションですよ、セレンディピティですよ、自由意志ですよ!

落ち着いてくれたまえ。二つの方法で私は反駁しよう。

最初の論点は、まず、自由意志は必要ないという論点だ。次のツイートを見ていただきたい。

この人はそこら辺をホモサピエンスみたいにうろついているモータルではない。筑波大学の白木健太郎教授だ。また、彼は、『細胞内において、RNAやタンパク質などの生体分子の反応場ができるとき、液液相分離相という現象が大きな寄与をもたらしている』という分野――相分離生物学――の日本におけるトップランナーだ。要するに優秀な科学者である。

もちろん、およそ人の言うことは正しいか嘘かどちらでもないかの三通りだが、このツイは優秀な科学者の言という観点から、真剣に検討されるべきだ。

少なくとも、彼は、目標がある!と主張している。つまり、先ほどの「科学に目的はない」というのはおそらく間違っている。目標があり、我々はそれを洗脳された東大生に教えればいい。彼らは実験をこなし、いろいろやり、論文を出したり学会とかに行き、偉くなる。これが科学の発展だ。

二つ目の論点は、発想力などいらないという論点だ。

現代は明晰化と機械化の時代だ。それは科学にも当てはまる。科学者のプロトコルは洗練され、自動化される。

再現性の名の下に、計算機科学においては温かみのあるシェルスクリプトは排斥され、自動化パイプラインが処理を完全に一意に決定する。生物学においても、実験手順はprotocols.ioで共有さる。

これは単なる記録にとどまらない。物性研究においては機械学習と自動化された実験によって、新素材を探索することが行われ始めているし、生物学・化学においてもまほろに代表されるような、自動実験設備が登場している。

そして、先ほどセレンディピティが重要だと言ったが、もはやそれすらも自動化できる時代になっている。ImPACT計画の一つであるセレンディピターとは、その名の通り、偶有性を機械によって 待つ というシステムだ。

つまり、すでに我々は、科学を自動化・機械化しており、もはや科学者自体が機械になっても誰も気にしない。ゴジラを倒すのが芹沢博士なら、メカゴジラを倒すのはメカ芹沢博士ということになる。この文の意味は正直よく分からない。しかし、あえて残しておく。私は君たちが憎いからだ。

我々はおおよそ考え得る批判を全て論駁した。従って、霞ヶ関が東京大学1年生を拉致して6年かけてLSDで洗脳して年収1500万円と自由に使えるヴァギナとペニスで雇うことで、官僚が量・質ともに増えるのは間違いないし、人文系から理工学系におよぶ人文科学の全分野において大きな発展が見込まれる、といっていいだろう。これは素晴らしい計画だ。実際、本当ならば参加してみたいものだ、と数年前の私は思っていた。

3

第三の論点――我々が正しく 応答 されていないこと。我々がソーシャルネットワーキングサービス(SNS)において放つメッセージが、ふさわしい形で応えられていないこと。

さて、TwitterやInstagram、そしてFacebookといったSNSを見ると、二つのことに気がつく。

1つ目は、実は我々はSNSのアカウントが人によって運用されているか確信できないということだ。『twitterでずっと仲良くしていた人がbotだった』という記事もあるし、MicrosoftのAIがTwitterをしていたという話もある。もう少しわかりやすい例で言えば、Twitterにおいては、犬がTwitterをしていることが多い。現代において動物は新しいポルノ( AV ( アニマル・ビデオ ) )だが、とにかく犬のアカウントがある。そして自然言語でTweetをしている。

これはウェルシュコーギーのエルモがTweetをしている以外に解釈できない。

つまり、諸君らがあるアカウントを見つけても、それが人間なのか、犬なのか、Botなのか、何か別のものなのかを判別するすべは――基本的には――ない。

従って、極めて逆説的に聞こえるが、SNSをやることによって、我々はお互いを『人間かどうか』というレベルですら不明瞭にしてしまう。あなたは、あなたがリプライをする相手が本当に人間かどうか知るすべがない。そこには単なるリプライだけがある。タイムラインに流れるTweetも、Instagramのフィードも、FaceBookの報告も、全てが――人間と非人間の境界に横たわるのではなく――単に人間由来/非人間由来というプロパティを持たない。

標語的に言えば、我々はSNSによって、人間の皮膚を剥がれ、むきだしの意思として露出することになる。これはアガンベンの言う『剥き出しの生』のような、人間-非人間の二分法の裂け目に互いを送り合うことによって成立するのではなく、単にそのプロパティを持ち損ねることによって生じる。

それによって、我々は他罰的な思考の枠組みにとらわれる。ちょうど、制服制の学校において、一人だけ私服の生徒が許されなくなるように、剥き出しの意思が露出する場所においては、全ての意思がそのようになることを求められる。安倍晋三のアカウントは、安倍晋三本人でなければならない――なぜなら、私も私本人であり、それ以外の要素を奪われているのだから。

2つ目は、それが不可避的に政治潮流の土台になるということだ。Twitterにおいては菅原琢が言うようなハッシュタグ運動が――功罪は別にして――広まりつつある。FaceBookが政治運動に用いられることは、2011年から巻き起こったアラブの春が証拠になる(これには議論がある。New Scientists, "Was the Arab Spring really a Facebook revolution?"など)。一見、Instagramはそのような運動に使われていないように見えるが、実は、安倍晋三が焼きそばを焼くプラットフォームとして広く認知されている。つまるところ、政とは人のことで、SNSは人が集まる場所なのだから、政治と不可分になる。

つまり、まとめると、SNSが政治のフィールドになることは避けられず、そこにおいては、全てのステークホルダーが――応答するものも含めて――剥き出しの意思としてのみ存在することが求められる。これが、世間に見られるSNS政治の不完全燃焼性を説明する。

しかし――と我々は続けよう。もし、この議論が有用なものだったとしても、この構造にいかなる方法で洗脳された東大生は寄与するのか? 直感的には、この問題は解決不可能に思われる。というのも、菅義偉本人が、カズオイシグロ本人が、枝野幸男本人が、全ての意見に手で返信するのは不可能であり、結局の所、まさにそれこそが求められているからだ。

ここで、私は一冊の本について語らなければいけない。それは『一般意思2.0』だ。現代を代表する知の巨人である東弘紀が2011年に著したこの本は、政治参加への障壁が極めて小さくなったときに、政治や国家像がどのような変化を遂げうるのかを述べた本だ。

悪く言えば、『一般意思2.0』は本当にどうしようもないイカサマチンポみたいな本で、一切読むに値しない、パルプの無駄遣いともいえる本だ。これは単に悪く言っただけだ。素直に評価すれば、彼はSNSというテクノロジーに対して希望と不安も併せ持っていることが分かる。それを一般意思2.0という概念にまでに昇華させるだけの知性があり、それを極めて明晰に語っている。出版から10年経った今も、読むことで得られることはあるだろう。

たしかに、東の議論をここで手短にまとめることは不可能だ。東があれだけの分量を要したのだから、私が同じことを語ろうと思ったら、ゆうに10倍の分量は必要だろう。

しかし、蛮勇を持って、彼の議論の前半部分をまとめることはできよう。一般意思2.0とは、技術に支えられた総意のようなものである。どんな人にも、少なくとも何らかの政治的主張はあるはずだ。ダムを綺麗だと思えば、ダムをもっと造りたくなるかもしれないし、ホームレスの排除アートが嫌いなら、ホームレスの就業支援をもっとしろと思うだろう。一般意思2.0は、これらを集積し、そして為政者がつかめる形へと要約する。これは単なる『多数決』や『世論』とは違い、種々の利益が調整された上での合議、コミュニティの幸福量を最大化する政策と言っていいものだ。

重要なのは、我々は単に意見を発露するだけで済み、意見の集積やとりまとめ、ステークホルダー達の選定や相反する利益のネゴシエートは技術が担う、というところだ。要するに、政治参加の敷居は――現在そうであるのと同じレベルまで――下げられる。Twitter民主主義とでも言うべきものが発火する。我々がつぶやくデータが、一般意思2.0へと吸い上げらていく。

当然、これはポピュリズムを意味しない。東は、旧来の専門家による合議も、政府1.0として存在するだろうし、必須だろうと言う。しかし、そのような政府1.0の担う業務は、一般意思2.0を形作り、自動的に施行していく政府2.0の業務へと――情報化とグローバル化が進むにつれて――吸収されていくと論ずる。

ところで、東はこの一般意思2.0を生成する要約機械として、Twitter+データ処理やニコニコ動画+データ処理といったものを措定しているようだ。彼の立ち上げたSirasuというサービスからは、ここでの議論が脈々と発展している様子がうかがえる。

だが、東の言う一般意思2.0は、我々の議論にどのように関与するのだろうか? 見たところ、一般意思2.0とは要約された――『統計的』と言ってもいいだろう――意思のことだ。一方で、我々の求めている応答とは、要約されていない、個々の文脈に沿った――『個別的』といってもいいだろう――意思のことだ。

しかし、東の導入した『一般意思2.0』は、実は剥き出しの意思に対峙する強力なツールになる。

今一度、思い出してみて欲しい。SNSにおける政治のムーブメントの一般的な形を。

民主化運動においては、『民主化』というイシューのもとに、SNSで意思が集積した。アラブの春であれ、他の運動であれ。ハッシュタグ政治においても、一つのハッシュタグを取り囲むように、たくさんの個別化された意思がタグを後押しした。ツイバトル集積所においても、ほとんどの場合、『陣営』が二分され、その間の、妥協なき戦いとして批判は展開される。

だから、ここにあるのは、本当に分散したとりとめの無い剥き出しの意思ではなく、ある中心概念を取り囲むように配置された意思だ。ちょうど、空間上の点集合それぞれが、それら点集合の中心までのベクトルと、中心からのベクトルに分解できるように、吉野家にある任意の牛丼が、プレーンな牛丼とそれへのトッピングに分解できるように、SNS上の応答を求める意思というのは、その時点での中心議題と、それぞれの意思の『個性』へと分解できる。

もちろん、議論は連綿と続いているものだ。だから、「ミソジニー男性とかいういつまでたっても価値観をアップデートしない意味不明のカス」とか、「フェミとかいう議論の積み重ねが一切ない意味不明のカス」とかいう建設的な意見が出てくる。だが、FaceBookやIstragram、NewsPickのコメント欄をある時点で切り取って、適切にトリミングすれば、そこには単一の論点が常に存在するはずだ。

東の『一般意思2.0』は、その中心議題への回答を与える。というのも、それは定義から言って、議題を取り巻く意思達の議論づくの結論に他ならないからだ。

だから、問題は 1. 一般意思2.0をどう計算するか 2. 導き出された一般意思をどうやって個別化するか に集約される。

一つ目の問題に対しては、洗脳された東大生を使うことができる。洗脳された東大生ならば、一般意思2.0、つまり、そこにある意思のよい折衷案を、どの意思にも肩入れすることなく発見することができる。

まず、彼らは極めて賢いため、そのような意思を見つけることが可能であることは論を待たない。もし、一般意思2.0を計算するのが極めて難しく、神にのみなしえることだとしても、一般に3人の成人男性をスタックすることで、およそ神ひとつぶんに相当することが知られている。従って、東大生を数人集めれば、おそらく一般意思を計算することは可能だ。

また、本来ならば全てに優先するはずの、自己の生存ですら、洗脳された彼らにとっては要素の一つとしてしか見なされないだろう。実際、先述したCIAの極秘プロジェクトのMKUltraの前身であったアーティチョーク計画の目的は、『個人の意思に反して、さらには自己保存のような自然の基本法則にも反して私たちの命令を実行するまで、個人を支配することができるだろうか』というものであり、これは既に現代の科学によって実現されているはずだ。つまり、彼らはいかなる前提条件も取り払って議論を進めることができる。

以上のことから、一般意思2.0の計算可能性についてはけりがついた。

二つ目の、一般意思の個別化の問題には、既存の技術が使える。それはGTP-3という人工知能(AI)だ。人工知能(AI)はとにかくすごく、上智大学文学部比較文学科の仕事を奪い、それはそうなるべきなのだが、とにかくディープラーニングというのがすごく、Transformer(おそらくオプティマス・プライムのこと)をひたすら巨大にしていくだけで、シンギュラリティに達することが専門家によって証明されている。これは極めて高性能な人工知能(AI)で、おそらく、一般意思2.0と、個人の抗議ツイートを入力すれば、あたかも生身の人間が考えたかのような応答をひり出すことが可能だろう。もしかすると、GTP-3の出力速度が問題になるかもしれないが、AWSでモデルを複製することで線形にスケールアウトする。

ここで、「でも、それは機械の言葉ではないですか」と言う人が挙手をしたかもしれない。剥き出しの意思は剥き出しの意思を求めていると前述したことと矛盾してますよね? という訳だ。しかし、一息つかせてくれたまえ。君たちモータルは、流れてくる言葉が機械から出てきたものなのか、犬から出てきたものなのか、それとも生身の人間がスマホをぺたぺたして生み出したものなのか、知ることはできない。君たちにできるのは信じることだけだ。これは犬、これはBot、これはあたたかみのある言葉……といったように。

だから、機械を使って応答を作り上げたとしても、それが相手によって人間由来だと思われている限り、問題は無い。そして、事実として、1960年代から、我々はすでに機械の言葉を人間の言葉だと思ってしまうのだから、我々はGTP-3の言葉を生身の言葉だと思うだろう。

我々は問題を全て片付けた。

やるべきことは次の通りだ。まず、洗脳した東大生にインターネットの言論を入力し、一般意思2.0を生成させる。視覚による入力が遅すぎるなら、脊髄から下を切り捨てて、背骨とインターネットを直結してもいい。ほとんど全ての日本人は、5歳までに、BCGのワクチンと称して、肩に9個のピンを植え付けられている。これはディープステートのバックドアで、我々もディープステートの著作物になってしまうのだが、それはそれとして、これを使ってインターネットに接続してもいい。

それから、その生成された一般意思とAI(人工知能)を使って、それぞれの剥き出しの意思に対応した応答が生成される。これらはあたたかみのある言葉で書いてあり、読めば納得せざるを得ないものになっている。

全ての議論は、この『一般意思2.0+個別化モジュール』の緩衝材によって受け止められる。剥き出しの意思同士の、いかなる直接の衝突もなくなる。実際、インターネットにおけるもの悲しさの9割近くが意思の衝突によるものだから、これによって日本は極めて満ち足りた世界になるだろう。

つまり、まとめると、東大の新入生を霞ヶ関が即座に囲って、6年間で教育し、年収10000万円とデパス62000錠LSD18921000錠そして両手でつかみきれないほどのヴァギナとペニスをあてがって雇用しろ、という事になる。確かに、彼らは投薬によって自意識を完全に剥奪されており、人権が徹底的かつ不可逆的に蹂躙されているのだが、肩に備え付けられたBCG9Pinポートを介してインターネットをクロールすることで、人民が何に怒っているのか理解できる。それの解決策を探せる。これはすばらしいことだ。私がそうなるのもすばらしいことだ。そうだろう?

そうだとも。


4

我々はついに最後の問題に到達した。貧困の問題だ。最低賃金は浮上せず、物価は硬直し、産業は行き詰まりを迎え、少子化は進み、経済成長は――他の国が右肩上がりの向上を楽しんでいるにもかかわらず――極めて低い。薄暗い夜がもっと暗くなっている。

諸君らは、洗脳された東大生が何の役に立つのだ、と思われるだろう。たった数千人でどうにかできるわけがないではないか、と。この国の慢性的な金銭不足は、洗脳され、(例えばこのように)拡張された人体を持っていたとしても解決不能ですよ。相手は資本主義ですからね! 概念ですよ! 概念には勝てないでしょう! というわけだ。

しかし、諸君らは自分で解決策を提示していたではないか。つまり、あなた方は、年間30人しか東大生を洗脳できないと勝手に措定して、その上で何を言ったのだったか? 君たちがインターネット性健忘症にかかっていることは知っている。どうせ、数分前に起きたことですら忘れてしまっているだろう。自分の形と名前ですら。たまには『いいね』欄でも見るがいい。

おまえらはこう言ったのだ。30人じゃ一つの暗殺部隊くらいしか作れませんよ、と。私はそれにこう返したのだ。暗殺部隊が5部隊作れますよ、と。

さて、2019年国民生活基礎調査の概況 各種世帯の所得等の状況の5ページ目を見て欲しい。まず、紺色が使われていることが分かる。次に、60歳以上の世代が1000万円以上の貯蓄を持っているのが分かる。それにに対して、29歳以下の若く、今後の日本を支えていく世代が持つのはたったの180万円であり、平均的に見ると借金の方が貯蓄より多い、という状態なのも分かる。

このような富の不均衡は、昔から問題にされている。世界的に見ても、世界の上位50人の資産の和が下位50%の富の和に達した。何人かの経済学者はトリクルダウンを唱え、このように富裕層を富ませることで、やがて富が下部のものにしたたり落ちると議論しているが、実際はそのようにはなっていない。富豪達は株を買いまくり、金魚のフンのようなカスどもがそれにお追従を述べながらETFを買いまくる。

単純な計算をすれば、上でみた50人が全ての財産を手放せば、世界の30億を超える人の所得が倍になる。この事実は全世界を揺り動かし、先日のアメリカ大統領選挙において、長きにわたるトランプの悪政から、エリザベス・ウォーレンよりも急進左派であるバーニーサンダースの当選にまで上り詰めた。その後に引き起こされた、代表にすら選出されなかったジョー・バイデンの醜聞については語らないでおこう。シンガポールですら、富裕層への一時的な増税を検討している。とにかく、ごく一部の超富裕層の所得を再分配するのは全世界的なムーブメントになっている。日本もこの波に乗らなければ先進国ではないし、リベラルではないし、反知性主義だし、独裁国家だし、言論の自由が奪われているし、軍靴の音が聞こえてしまう。

しかし、日本においては、財産権の名の下に、我々はそれを原理的に解決できなくなっている。厚生労働省は再分配後ジニ係数が改善しているからいいじゃないかと主張するが、これは何も解決していない。社会保障は所得とは曖昧な関係しか持たない。ちょうど、貧乏人に対して、全ての人に図書館は開かれているから、知識における経済格差は存在しないと言うのが欺瞞であるように、再分配後ジニ係数も欺瞞だ。我々はより公正な富の分配を求めている。

繰りかえすが、富の再分配に必要なのは、ごく少数の富裕層と、増え続ける高所得高齢者の行動変容だ。彼らが、確かに我々は資本を持ちすぎているし、十分に名声も得たのだから、もう株券も銀行券もいらない、といえるようなシステムを作らなければならない。

では、そのようなシステムとはどうやって構築すればいいだろうか? 短期的な増税や、資産に基づいた増税は効果を上げない。ビジネス・タイムズの記事も言うように、そのような増税はモグラたたき的になる。つまり、賢い超富裕層や税理士は、抜け穴を見つけ、最も税金が少なくなるようにポートフォリオを組むのだ。

ここで、一つのアイディアがリオ・デ・ジャネイロからもたらされている。具体的に言えば、富豪の家族や高所得高齢者の孫を高級リゾートに招待し、その金額を支払ってもらう、というスキームのことだ。これは、一部では、身代金誘拐と蔑称されているが、実のところ、再分配を極めてローカルに行うことのできるシステムにほかならない。

しかし、このシステムを運用するには、少なくとも彼らにとって守るべきものがいなければいけない。家族や恋人、犬、猫、そういったもの、お金を出しても惜しくないものだ。しかし、身寄りのいない老人は定義からいってそれらを持たないだろう。超富裕層も、株券のためなら家族も殺すだろう。つまり、このリオ・スキームは、平凡な富裕層からの搾取にしかならない。

最初に戻ろう。諸君達は洗脳された東大生が暗殺部隊にしかならないといっただろう。だから、その通りにしてみよう。

彼ら現代に生まれ変わったアタチュルク達は、超富裕層の健康状態を不可逆的に変えていくだろう。1000万円をみずほ銀行にため込んだ一部の高齢者の健康状態も変わるだろう。そのようにして、我々は窮乏しているカップルや勉学の機会が与えられていなかった地方の子供、伝えるべき技術があるにも関わらず、老人ホームにうち捨てられている老人達を救済できる。

このスキームは運用可能ではない、という声を私は聞き取ることができる。確かに、法律によって、健康状態を操作することは禁じられている。しかし、日本は常に本音と建前を使い分けてきた。超法的支配が行われることも珍しくなかった。実際、現代も、権力の中にいる者は、紐帯を結ぶためだけに勧告を無視するのだ。いわんや、倫理的に正当化される行為においては、脱法が許されない理由がない。

また、そのような健康状態の操作は、必ず警察によって捜査されるだろう、という指摘もある。確かに、銃規制が隅々まで行き届いている本邦では、メルカリでも使わない限りは銃砲は手に入らないだろう。

しかし、考えてみて欲しい。超富裕層たちの健康状態を操作するのに、なぜ、所持を禁じられた物品がいるだろか? ラモン・ナヴァロがどのように殺されたかを思い出すべきだ。彼は二人の青年によって、自宅で、数時間リンチにされた後に健康状態に極めて大きな変化を被った。彼の富(胸ポケットに入っていた20ドル)は、二人の青年へと――そして、それが市場へと――適切に再分配された。

この事例が我々に伝えるのは、洗脳された東大生には金属バットを持たせれば十分、ということだ。実際、私もプログラムに参加して4年から5年目は、このスキームを主とした業務に携わっていた。

印象的な場面というのは特にない。私たちが行うのは、毎週1回、指定された住所を訪問し、支給された金属棒を使って、その居住者とコミュニケーションを取り、口座振り込み用紙を渡すだけだからだ。計53ケースのうち、4つのケースでは、金属棒を使う必要は無かった。6ケースでは、居住者は動作に困難を覚えるようなので、我々が振り込みを介助した。残りのケースでは、訪問者との意思疎通ができなくなったため、我々が会計を代替した。推測できるように、この仕事は極めて単純だった。強いて言うならば、2月第3週の訪問は夜で雨が降っていたので気温が低かったことが印象的だった。


結句

今も私は君たちの意思を感じ取ることができる。君たちが全てのものにいらつき、家族や恋人、自由意志といったものでさえ、理論的・倫理的前提を持たなければいけないことにおびえているのが分かる。そして、何よりも君たちが私たちに怒っているのが分かる。

おそらく、諸君らは我々の存在を非倫理的で、強権的で、独裁的な要素だと思っているに違いない。貴君らは我々に怯えているし、我々の存在がありうべからざるものだと思っている。

だが、君たちは大きな前提、揺り動かせない前提として、全ての命は価値があると信じているはずだ。我々も生きているのだから、我々の命にも価値がある。従って、我々の存在を非倫理的という立場こそ、非倫理的と非難されるべきだ。

分かっている。君たちは、私たちの生命が汚損されていると主張したいのだろう。人間はそのように扱われてはならない、と言っているのだろう。洗脳されて、機械として……というわけだ。

だが、そんなことは全くない。まず、諸君らこそ、我々よりも惨めな扱いを受けているではないか。大量の無意味な書類を書かされ、無意味な物流に加担させられ、無意味な事務処理をして、無意味なメールを返信しているではないか。それも、肉体を一切改造してはいけない、と強制されながら。我々からしてみれば、パソコンが使えないのが虐待であるのと同じ程度に、自由意志から脱却できないのは虐待である。

また、このプロセスに苦しみは一切無い。生命に対する侮辱、と君たちのうちの一人が思いついたようだが、それも間違っている。我々のモラリティとは、生命の尊重ではなく、苦しみの最小化に律されている。実験動物の飼養及び保管並びに苦痛の軽減に関する基準の解説という言葉が物語るとおりだ。そして、君たちは年間二万人も苦しみに耐えかねて自殺を選んでいるではないか。我々のうち、自由意志によって自殺した者は一人もいない。これが、我々のプロセスがいかに人道的であり、道徳的であるかを物語っている。

おそらく、君たちは、我々が国家の中枢を担うことを危惧しているのだろう。だが、心配はいらない。我々は短命だし、性器がないから世襲もない。我々の銀行口座はない。だから、安心してくれたまえ。

安心してこの国がよくなるのを見ていてくれたまえ。

私はこのあたりで語るのをやめようと思う。東大に入学した私のような自我のないカスを即座にお誘いなさり、私めを6年間で心優しいエリートに教育なさり、年収200万円の俸給、これでも多すぎるくらいですが、それにたくさんの栄養補助食品、そして莫大でとても報いることのできないほどの幸福を霞ヶ関はくださったということだ。

幸福で、確かに私は自分の体をもうしばらく見ていないが、私は幸福で、お金もこのぶよぶよした肉体も不要なのにお与えくださる霞ヶ関、それにわたくしめの血を注げることは幸福で、貧困も生きづらさもなく、どんどん進んでいける、全てがとても白く、幸福で、中心には赤い丸が見える。sia