2015年5月に株式会社アイデムのオウンドメディアとして始まった「ジモコロ」ですが、気づけば運営5年目に突入しました。

そこで「ジモコロの作り方」と題して、編集長の徳谷柿次郎が体験に基づいたハウツーをまとめていきます。全国47都道府県の独特なローカル取材をどう積み上げてきたのか? 役に立つかどうか正直わかりませんが、ジモコロのアーカイヴ情報としてお楽しみください。

 

なぜ、ジモコロは生まれたのか?

よく聞かれる質問のひとつに「なぜ、アイデムはジモコロをやっているんですか?」があります。

実はアイデムとの間に入っている広告代理店から、運営元のバーグハンバーグバーグ(以下、バーグ)に「一緒に自主提案しませんか?」という依頼を受けたのが最初のきっかけ。

 

当時、バーグで編集&ディレクターとして働いていた私が流れで担当者となり、代理店と打ち合わせを何度か重ねた結果、たどり着いた提案が「ローカルに特化したメディア」でした。

 

その提案の理由は3つあります。

  •  
  • ・当時、地方創生ブームの流れで「ローカル」に注目が集まっていた
  • ・アイデムのルーツはエリアを細分化した新聞折り込み広告なので、、全国の「仕事」「文化」を掘り起こす意義が生まれる
  • ・「経費で地方を遠慮なく取材したい!」と当時の私が強く考えていた

 

正直、最後の動機が一番大きかったと思います。

経費で取材を好き勝手にまわる…。地方の面白さに触れてみたい…。

 

夢物語のような役割を、自主提案で我が物にしたかった。なぜなら、経済的な理由と閉鎖的な環境で育った影響で、30歳になるまで旅行経験が皆無に近い”ローカル童貞”そのものだったからです。

 

ストレートな好奇心と欲求が功を奏したのか? 提案から半年の時間を要してジモコロは誕生しました。

 

時代と編集部に恵まれた

ジモコロ開始当初に、ヨッピーと長野の野沢温泉を取材する様子

 

バーグは自社メディア「オモコロ」を運営しているため、ジモコロ開始時も強力なライターたちに支えられました。

三本柱で初期のジモコロを支えてくれたのはヨッピーARuFaカメントツの御三方。さらにベテラン勢として原宿まきのゆうき、編集長として徳谷柿次郎(自分)、副編集長のギャラクシーがサポートしていく体制でした。

 

その他にも、数多くのライターに協力いただいたことによってオウンドメディアの初動に大事なインパクトと数字を残すことができたんだと思います。インターネット文脈の強い書き手を確保し、フラットな目線で地方の面白さにグイグイ入りこむことができたのは、今考えれば奇跡的なタイミングだったのかもしれません。

 

副編集長のギャラクシーとともに、岐阜へ「つちのこ」を探す取材へ

 

2015年はオウンドメディアブームが巻き起こったばかり。WEBメディアの数も限られており、書き手のリソースが分散せず、ありがたいことに「ジモコロ」に力を貸してくれる人が多かった。

この背景には私同様「地方出張の仕事をしてみたい!」と考えるライターが一定数いたことに加えて、地方創生ブームの前向きなエネルギーも影響していたんじゃないかと思います。

 

手前味噌かもしれませんが、編集長としてはこんなにも恵まれた環境は二度とないでしょう。

需要と供給のバランス。そして熱量と好奇心の掛け算。アイデムが運営費用を惜しみなく出してくれたことが、この環境に導いてくれたといっても過言じゃないです。

 

ジモコロが広告視点でどんな効果を生んでいるか?を分析した記事

 

予算がなければ面白いことは形にしづらいし、巻き込めるプレイヤーも減ってしまう。そもそも手間と経費がとんでもなくかかってしまうローカル取材は、運営側の人的リソースを鑑みても決断しにくいもの。現場で取材する側としても、経費面に対する管理コストが柔軟だったことが自由度を生んでくれたんだと思います。

 

先日、「手塚治虫文化賞短編賞」を受賞した小山健さんの連載も

ローカルの「課題沼」に気づいて人生が変わった

ジモコロ取材の醍醐味「地方でやばい仕事してるおじさん

全国47都道府県の仕事と文化を掘り続けるスタンスは、結果的に既存のローカルメディアとは異なった方法論として評価されました。

 

あくまでエンタメ的に楽しみながら読める記事づくり。活字離れが進む若い層を意識して、わかりやすく、視覚的に読みやすい構成。人と土地にフォーカスをあてて、好奇心の面白さをしっかり埋め込む。

これらはバーグのコンテンツ作りを下地に、編集長としての興味関心をしっかり消化した結果です。

 

前述の通り、私は地方旅行の経験がほぼありませんでした。大阪の都心で生まれ育って上京した身。ローカル特有の文化圏に触れず、全国で叫ばれていた一次産業の課題や移住定住の是非、モノづくりにおける職人の跡継ぎ問題、ゲストハウス文化の隆盛などなど……正直、何も知りませんでした。

 

大阪の言葉でいえば「良いバカ」だったんです。良いバカだからこそ、読者目線の知らない感度に合わせることができた。難しいことをわかりやすく伝える上で、このマインド設定は欠かせません。

 

「なんでだろう?」の好奇心を燃やし続けて、「知ろうとする」エネルギーを生む。ジモコロ編集長の仕事を通して、私自身が人生と教育に必要な価値観を身につけることができました。

 

言い方を変えれば、ローカルの面白さに気づいただけでなく、日本全体の「課題沼」にハマってしまいました。この沼は手強く、途方もない無力感に襲われることもあります。

だからこそ学ぶ姿勢が途切れない。一方で頭でっかちになり、当初のライトな記事が作れない病も…この話はいずれ改めて。

 

自然に恵まれた多様な土地と素晴らしい人たちに沢山出会ってきて、一生付き合っていける友だちもできました。

インドアからアウトドアへ。東京からローカルへ。価値観がグルグルと大きく変わって、バーグ独立後の仕事もジモコロきっかけで生まれたものばかりです。特異すぎる環境と過剰なインプットの果てに、顔つきまでもが変貌したのは自分でも驚いています。

 

って、あれ、おかしいな。書き進めながら、このコラムが「ジモコロの作り方」であると同時に「自分自身の生まれ変わり方」でもあるな…と気づきました。

 

31歳で携わった仕事にここまで人生を狂わされるだなんて。最高だ。これまで取材にご協力いただいた皆さんの言葉のおかげです。次回からはもう少し具体的な癖ありハウツーに寄せていきたいと思います!

 

次回のテーマは「ジモコロ流!インタビューのコツ」を予定。お楽しみに!

 

イラスト:日向コイケ(Instagram

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