中野に大正時代の刑務所の跡が残っていた

何となく古地図を見ているときのことだった。中野駅の近くに大きな建物を見つけた。調べるとかつてそこには大正時代からの刑務所があったらしい。しかもウィキペディアによると、跡地には今でもレンガ片や土塁が残っているらしい! ところが、レンガや土塁の跡について調べても何も情報が出てこない。ならば自分で調べてみよう。

実際に行ってみたところ、思った以上にいろいろな跡が残っていることがわかってきた。

 

謎の施設発見

はじまりは古地図だった。

まずはこれを見てほしい。左が大正5年、右が現在の地図だ。東京の中野駅あたりを表している。(今昔マップより)

 

f:id:tenyard:20200829230326p:plain

 

南にある横線が中野駅だ。北側と南側に大きな施設がある。南側はかつての日本軍の用地。スパイ活動で有名な「陸軍中野学校」があったのもこの場所だ。

そして注目したいのは北側。左側の大正の地図に書いてあるのは「豊多摩監獄」。

監獄。つまり刑務所だ。まさか中野にあったとは。刑務所というと郊外にあるイメージがあったので意外だ。考えたこともなかった。これは面白くなりそうな予感。

 

どんな刑務所があったんだろう?

刑務所についてさらに調べていく。それなりに有名な施設のようで、いろいろ情報が出てきた。わかったことをまとめてみる。

 

  • 「豊多摩監獄」「豊多摩刑務所」「中野刑務所」と時代によって名前が変わった
  • 大正4年に設立。昭和58年に閉鎖
  • 大正時代の表門が現在も残っている
  • 跡地は現在「平和の森公園」として整備されている

 

なんと大正時代の建物が残っているらしい。近所に大正時代の立派な建物があるなんて知らなかった。しかも建物はレンガ造り。

 

f:id:tenyard:20200913154926p:plain

当時の写真があった。こんな立派な施設が大正時代にあったのか。中央が表門。(『中野のまちと刑務所』より)

 

明治・大正のレンガって西洋に追いつこうという気概にあふれていて良くないですか? これはぜひとも見に行かないと。

 

平和の森公園に遺構がある?

調査を続ける。もうしばしおつきあいください。

昭和の終盤に閉じられた刑務所。跡地は現在はどんな姿なんだろうか。出かける前に「平和の森公園」を調べてみよう。こういうときはウィキペディアだ。ページを開く。一文にくぎ付けとなった。

 

かつての法務省矯正研修所東京支所の敷地内に旧中野刑務所正門が保存されている。刑務所の跡地を思わせるものはほとんど取り壊され、土塁半分に切られた塀落ちている煉瓦のかけらなどぐらいしか残っていない。

Wikipedia平和の森公園(中野区)」より引用

 

跡は残ってるっぽい。つまり、平和の森公園に行けば「正門」「土塁」「塀」「煉瓦のかけら」の四つに出会えるということだ。

見てみたい。体が前のめりになる。でも気になることがあった。それは、「さっきの情報のソースがなかった」ことだ。ウィキペディアだとだいたい内容のソースが書いてあるものだ。だが、この記事にはどこにもない。さらに、調べてもレンガ片の情報が全然出てこない。なぜだ。公園に史跡があったら話題になりそうなのに。

どういうことだろう。

もしかしてレンガ片なんて落ちてないんじゃないか。それなら情報が見つからなくても納得だ。が、それならウィキペディアがまちがった情報をのせていることになってしまう。これは事実を確かめないといけない。

 

平和の森公園に行ってみよう

ようやく本題の実地調査だ。平和の森公園は中野駅から北に歩いて15分の場所にある。いたって普通の住宅地。37年前まであった刑務所のおもかげはどこにも感じられない。

 

f:id:tenyard:20200829231338j:plain

普通の建物だけどやけに気になる。レンガへの感度が上がってきた。

 

平和の森公園が近づいてきたころ、突然住宅地らしからぬ建物が目に入った。

  

f:id:tenyard:20200914172727j:plain

刑務所で作られた商品が売られている店だ。とにかく安い。本革の筆箱が1000円未満で売られていた。今度買いに行こうかな。

 

刑務所作業製品。新宿駅西口地下でたまに見るやつだ。新宿以外ではじめて見た。こんな駅から離れているのに。

間違いない。これは刑務所の名残だ。本当にここに刑務所があったんだ。今まで文字だけでつかんでいたイメージが一気に身近になった。

 

f:id:tenyard:20200829231842j:plain

隣には矯正協会の建物があった。これも刑務所関連の施設だ。

 

もう平和の森公園は目と鼻の先。いよいよ刑務所の敷地に突入だ。

 

遺構を探せ!

いよいよ刑務所の跡に足を踏み入れる。かつての跡地の真ん中に作られた道を進む。

 

f:id:tenyard:20200829231927j:plain

この道の上にかつて刑務所があったのか。

 

ここで周りの施設を整理する。右側にあるのは平和の森公園と下水処理施設。左側はかつての法務省の研修所だ。研修所は現在使われておらず、立ち入り禁止になっている。大正時代の正門があるのは左側らしい。まずは左側を見てみよう。

 

f:id:tenyard:20200829232112j:plain

左側。一直線に壁が続いていた。

 

塀だ! しかも低い。半分に切られた塀があるというウィキペディアの内容は本当だったんだ。幸先がいいぞ。奥には白くて無機質な建物が並んでいる。これがおそらく研修所だったのだろう。

さらに進むと、ほかの建物とは違いオーラをまとった存在感のある建物が目に入ってきた。

 

f:id:tenyard:20200829232138j:plain

あった。大正時代のレンガ造りの正門だ。

 

大正時代の生き証人がそこにいた。思ったより状態はよさそうだ。正直もっと近くで見たい。でも立ち入りができないもどかしさ。昔はこれだけじゃなくて刑務所の建物も全部レンガ造りだったらしい。奥も美しい建物だったんだろうな。

 

レンガを探そう

道をつき当りまで進むと、右側に平和の森公園の入り口があった。さっそく行ってみよう。平らな場所なので、見つかるならレンガだろうか。

公園は地面もタイル張りで管理が行き届いてそう。入口には自転車がいくつも止められ、親子連れでにぎわっている。きれいでにぎわっているのはいいことだが、今回ばかりは素直に喜べない自分がいて罪悪感が出てきた。管理が行き届いているほど発見が遠ざかるというジレンマ。

レンガ探しに苦戦しそうな予感がした。

 

f:id:tenyard:20200829232254j:plain

ここが入口。看板のレンガは大正時代のものなのだろうか(問い合わせても返答がなくわからず)。

 

f:id:tenyard:20200913120817j:plain

裏に回ってみる。タイルが途切れて土が見えた。こういう場所にレンガあったりしないかな。

 

f:id:tenyard:20200829232443j:plain

そんなすぐに見つかるわけ……

 

何か見えたような。いやいや。

そんなわけないよな。

 

もう一度見てみよう。

 

f:id:tenyard:20200829232542j:plain

いきなり見つかったー!

 

平和の森公園に入って1分。あっけなく見つかった。こんな簡単に見つかるとは。

探しているとレンガ片はいくつも落ちていることがわかった。

 

f:id:tenyard:20200829233727j:plain

遊んでいる子どもにこの地の歴史を教えてあげたい。不審者になるからしないけど。

 

f:id:tenyard:20200829233746j:plain

薄い破片も落ちていた。タイムスリップしてどんなふうに使われていたのか見てみたい。

 

f:id:tenyard:20200829233819j:plain

40年近くこの場所に誰にも見られずいたと考えるとしんみりしてしまった。やっと見つけたよ。

 

まさかこんなにあっけなく刑務所の跡が見つかるとは。思わぬ宝を見つけて心はうきうき。完全勝利だ。

 

f:id:tenyard:20200913121442j:plain

レンガ片を追っていると空が広けた。これが平和の森公園のメイン広場だ。天気も祝福してくれている。

 

大正時代の跡を満喫できた。達成感に満たされながら公園をあとにした。

 

f:id:tenyard:20200829233914j:plain

ちょうど昼時だったのでインドカレーとラッシーで祝杯を上げる。うまし!

 

何か忘れているような

大正時代の刑務所と塀を愛でることができた。レンガ片もたくさん落ちていることがわかった。満足だ。ここで改めて調べる項目を振り返ってみよう。

 

  • 正門
  • 土塁
  • 煉瓦のかけら

 

レンガ片に興奮して土塁を忘れていた……。

振り返ってみると、土塁らしきものは特になかった。でもしっかりと確認したわけではないので見落としている可能性がある。いったん調べ直してみることにしよう。

まずは基本から。土塁がどんなものか調べてみる。

 

土を盛り上げて築いたとりで。 (コトバンク

 

盛った跡か。段差を見れば何かわかるかもしれない。

 

土塁について再びの調査

段差を調べよう。国土地理院の標高図で平和の森公園を見てみる。

 

f:id:tenyard:20200829234347j:plain

 

溝がある? これは土塁なんだろうか。土塁なら溝じゃなく山になるんじゃないのか。そもそも訪問したときはこんな高低差を見ていない。新たな謎が出てきた。

はたしてこれは刑務所の跡なんだろうか。当時の地図と地形図を重ねてみよう。

 

f:id:tenyard:20200829234426j:plain

 

四角いのが刑務所の敷地で、黒い線がさっきの凹凸だ。(「今昔マップ」より)

あれ? 溝は刑務所の中央を通っている。敷地の外側にあると思っていたのに。謎だ。

さらに拡大したら新しいことに気づいた。囲んだところをよーく見てほしい。

 

f:id:tenyard:20200913161903j:plain

 

北側の刑務所跡にそってちょっと段差がある。これはもしかしたら土塁かもしれない。

 

 ということで、2点の疑問が生まれた。

  • 深い溝の正体とは?
  • 北側に土塁の跡らしきものがある?

解き明かしに再出発だ!

 

溝の謎を突き止めよう

再び平和の森公園に着いた。今度は広場からスタートだ。

まずは溝の正体を調べに行こう。

 

f:id:tenyard:20200829234916j:plain

都会では貴重な広い空間。真夏じゃなかったらここで寝転がりたい。

 

左側の建物が体育館、右側が下水処理場だ。

地図を見ると、この建物の向こう側に例のくぼみがあるっぽい。

建物の向こう側が見たい。

 

f:id:tenyard:20200829235116j:plain

まずは右側からチャレンジ。あまりに茂みが深すぎて見えなかった。

 

考えてみると当たり前だが、下水処理場は人が誤って立ち入らないように作られている。そのため内側も見えないようになっているようだ。思わぬ誤算。

でも見たい。建物の周りを歩いてすき間がないか調べてみよう。

 

f:id:tenyard:20200829235134j:plain

体育館と下水処理場の間にすき間を発見! ここからなら下が見えそう。

 

f:id:tenyard:20200829235221j:plain

柵の向こう側が低くなっている。これだ。溝は下水処理場の敷地内にあったんだ。

   

f:id:tenyard:20200914175953j:plain

植物が生えているのが今立っている高さだ。5メートル以上はありそう。

 

あとで調べたところ、下水処理場の施設は地下に造られているという。溝の正体は、地下施設の露出している部分だった。やはり刑務所の跡ではなかったんだ。

 

北側に土塁はあるか

最後に北側の段差を見に行こう。地図で段差が出ている場所に着いた。が、一目でわかる段差はなし。地図にはあるのに……。

どこかにあるはずだ。しばらく歩いたところ一応それっぽいのを見つけた。

 

f:id:tenyard:20200829235333j:plain

心の目で見てほしい。右側が微妙に低くなっているのがわかるだろうか。

 

緩やかなスロープが続いている……っぽい。

 

f:id:tenyard:20200829235401j:plain

うん、気のせいではないな。ななめだ。

 

でもこれを「土塁」といっていいのだろうか。正直ウィキペディアに書くほどのものではない。

 

f:id:tenyard:20200829235425j:plain

レンガ片はここにも落ちていた。

 

結論、ウィキペディアにあった「土塁跡」は存在するか微妙。

どこか閉まらない結論になってしまった。

 

神社の跡もあった

不完全燃焼だ。そこで跡がないかさらに調べてみることにする。大正時代のレンガがあった立ち入り禁止の場所を外からのぞいてみよう。

 

f:id:tenyard:20200913141818j:plain

山積みレンガを発見。公園のレンガ片のありがたみが暴落した瞬間だった。

 

f:id:tenyard:20200913142158j:plain

気になるものが見つかった。レンガでなく石の何かが落ちている。

 

f:id:tenyard:20200913142241j:plain

近くに同じものがあった。灯篭(とうろう)だ! でもなんでこんなところに。

 

いったいこの場所にはなにがあったんだろうか。こういうときにたよるべきは古地図だ。

 

f:id:tenyard:20200913144552p:plain

1976年の地図に鳥居の記号を発見。昔はここに神社があったんだ。(今昔マップより)

名前は「寶樹(ほうじゅ)稲荷神社」。このお稲荷さま、刑務所の守り神のような存在だったらしい。刑務所が市ヶ谷から中野に移転してきた際にこのお稲荷さまも移ってこられたとか。それはぜひ会ってみたい。

ところで今はどこ住み? 調べるとすぐにわかった。近くの神社に移動してまつられているらしい。最後にお参りして今度こそ調査の結びとしよう。

 

最後に寶樹稲荷神社へ

歩いて5分。「新井天神北野神社」に着いた。ここに寶樹稲荷神社がまつられている。

 

f:id:tenyard:20200913150336j:plain

黒くて武骨な鳥居、意外と珍しいのでは。かっこいい。

 

f:id:tenyard:20200913150236j:plain

しばらく境内を進むと左側に目的地があった。到着だ。

 

寶樹稲荷神社についた。かつてこの石碑を受刑者も見ていたのだろうか。どのような願いをかけたんだろう。刑務所の開所当時から見守っていた存在にとうとう出会えた。いろいろ調べて歩いてきて最後にここにたどり着いたのにも縁を感じる。ぜひともあいさつしておきたい。

 

最後にお参りをしよう。

寶樹稲荷に向かい一歩踏み出す。

踏み出した足がそのまま止まった。

 

f:id:tenyard:20200913150816j:plain

まさかの工事中。お賽銭箱も撤去されていてお参りができない……!

 

仕方なく北野神社にお参りをした。

なんか締まらない。まあそういう日もあるよね。

こうして調査は終わった。

 

最後に

中野駅の近くには刑務所の跡がしっかりと残っていた。存分に体感することができて満足だ。土塁はなかったが。現在立ち入り禁止の敷地は現在区画整理の途中らしい。ひと段落して入れるようになったらぜひ大正時代の正門を堪能したい。

かつてこの場所に刑務所があったともっと知られるといいな。素直にそう思った。