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医療記者、新型コロナに感染する 当事者になってショックを受けた自分の感情

普段、医療担当として新型コロナウイルスの感染対策について発信している記者が、初めて陽性に。 自分が当事者となって抱いた感情に大きなショックも受けました。医療記者のコロナ体験記をお伝えします。

新型コロナウイルス第8波が始まり、とうとう私も初めて感染した。

医療記者として3年近くコロナ対策を科学的根拠に基づいて発信してきたつもりだが、いざ自分が当事者になってみると思ってもみなかった感情が湧き起こり、感染症の本当の怖さを思い知った気がした。

後遺症もなく全快した今、改めて体験を振り返ってみたい。

まさかの陽性 その瞬間浮かんだ「恥ずかしい」という感覚

喉になんとなく違和感を覚え始めたのが、11月半ばの夕方だ。

記者会見が始まるのを待っている時、いつも持ち歩いているのど飴を口に入れたのを覚えている。

本格的に体調が崩れてきたのを感じたのは、その日の深夜だった。風呂から上がってベッドに潜り込み、読みかけの本を読んでいると咳が出る。

(風邪をひいたかな?)

すぐにコロナを疑わなかったのは、その1ヶ月前、やはり同じような症状で始まった風邪を経験していたからだ。その時は微熱も出て抗原検査キットを2日連続で2回試しながらも陰性だった。今回も風邪なのだろう、と思っていた。

だが、咳は明け方まで断続的に続いた。早朝に起きると、咳が出る頻度が増えて、体がだるい。熱を測ってみると、36.3度と平熱だ。

午前10時からzoomでがん経験者のインタビューがあるので、資料を読んで準備しようといつもより早めの8時半から仕事を始めた。

リモートでインタビューする最中も強めの咳が出る。1時間ほどで取材を終え、「念の為」と、常備してある医療用の抗原検査キットで検査した。

医療分野を取材していると、特に症状がなくても取材相手から陰性確認を求められて抗原検査キットを使うことが度々ある。鼻の奥を綿棒で擦り取って検体を取るのも慣れたものだ。常に陰性だった。

今回も陰性を確認するつもりで、ぬぐい液を混ぜ込んだ試薬を検査プレートに3滴落とすと、じわじわと浸透していく。

「あれ?」

真っ白になるはずの検査結果の部分に赤い線が見え始めた。

結果はまさかの陽性。予想もしていなかった展開にたじろいだ。

真っ先に浮かんだのは「医療記者なのに恥ずかしい」という感情だ。「コロナ対策を3年近く偉そうに発信してきた医療記者なのに、感染を防げなかった」という恥ずかしさ。

だが、オミクロンは感染力が上がっているわけだし、感染を恥ずかしいと思うなんて間違っている。すぐにそう思い直した。

ワクチンで感染は防げない?

その8日前には5回目となるBA.5対応型の2価ワクチンもうっていた。

だがオミクロンではワクチンの感染や発症の予防効果は、以前よりも落ちていることは知っている。

また、感染したのはワクチン接種から1週間後ごろだろうから、ワクチンの効果である抗体価も十分上がっていなかっただろう(抗体価が十分に上がるまでは2週間程度かかる)。

ワクチンをうっていても、感染すること自体は仕方ないのだ。

「せめて重症化は防いでくれよ」

コロナワクチンの役割の真骨頂である重症化予防効果に期待を寄せることにした。

どこで感染?

それにしてもどこで私は感染したのだろう?感染対策の知識はあるし、それなりに感染対策は気をつけてきたはずだ。

オミクロンの潜伏期間の中央値は、3日間だ。

確かに発症の3日前には友人と1対1で飲んでいた。しかし席と席の間は離れている店だったし、彼女は特に症状もないようだ。

発症2日前には、アルバイトをしている近所のイタリアンで接客の仕事をしていた。それなりにお客さんは入っていたが、感染対策もしっかりしており、私は常にマスクをしている。この日はお客さんと話し込むこともなかった。

結局、どこで感染したのかは今も分からない。

予定をキャンセル リモート取材はそのまま続行

さて、コロナ陽性がわかり、まずは社内の連絡ツールSlackで同僚たちに報告した。既に感染したことのある記者が会社への報告方法などを教えてくれて助かった。

これまでニュースチームでは4人の記者が感染して、3人が体験談を書いている。

彼らが、「こういう手続きをした」「こういうものを準備しておくと助かった」と詳細に書いてくれていたので、私は既にガッチリと市販薬や食料品、情報、手続きの準備をしてあった。これはとても役立った。リンクを貼るので、皆さんも参考にしてほしい。

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その後、すぐに始めたのは、直近の出張やアルバイト、対面取材のキャンセルだ。

翌日の昼には対面取材をする予定があり、夕方からはアルバイトのシフトが入っている。2日後の昼には、浜松市で開かれる日本エイズ学会の市民公開講座に登壇することになっていた。

一件ずつ、コロナに感染したことを伝え予定変更をお願いしていく。学会はリモート参加に変更、アルバイトは急遽、アルバイト仲間の大学生がカバーしてくれることになり、対面取材は延期してもらった。

この日は午後にもう一つ、zoomでのオンライン取材が入っていたが、こちらは対面ではないのでキャンセルするつもりはなかった。咳や軽いだるさはあるが、頭も喉も痛みはないし、元気なのだ。

症状は軽いので医療機関には行かずに、東京都の「自宅療養サポートセンター(うちさぽ東京)」に登録し、自宅療養で様子を見ることにした。

ここに登録すると、厚労省のシステムで、自分でスマートフォンで入力する情報を元に遠隔で健康状態を観察してくれる「My HER-SYS」を使ってサポートしてもらえる。

ここに登録すると、食料品や血液中の酸素濃度を測る「パルスオキシメーター」を貸し出してくれる制度も使うことができる。

パルスオキシメーターは看護師の友人に譲り受けたものがあるし、食料や療養用の備品は十分準備してあったので、私は申し込まなかった。

体調悪化をどう見極める?

心配なのは、今は元気でも、後から体調が悪化してしまうことだ。私は持病がないが、一つ重症化リスクを持っている。肥満だ(いま、真剣にダイエット中)。

「これは病院にかからなければならない」というタイミングをどう見極めるか、が素人には難しい。以前、岡部信彦先生に取材した時は「普段とどれぐらい違うかがキーポイント」と書いたが、本当に自分が見極められるかは心許ない。

登録した「My HER-SYS」での健康観察に期待した。

これに登録すると、最寄りの保健所から毎朝「My HER-SYSに入力してください」と携帯にメッセージが届き、自分で体温と酸素飽和度を入力する。その情報に基づいて、保健所や連携する東京都が危険になったら介入してくれるシステムだ。

驚いたのは、発症3日目の午後9時半、突然、東京都の「自宅療養サポートセンター」から電話がかかってきたことだ。

こちらは症状もなく元気いっぱい。「私のような軽症者でも一度は電話で連絡するのかな」と思ったら、その日の朝、酸素飽和度を「95」と入力したため、保健所から「健康状態を電話で確認してください」とセンターに連絡が来たらしい。

確かに正常値は96〜100%なのでわずかながら基準から外れたが、医療が逼迫して保健所が忙しくなっている時は90を切っても保健所とはなかなか連絡が取れなかったと聞く。

まだ流行状況に余裕があった時期だからかもしれないが、ずいぶんきめ細かい観察なのだなと感じた。

もし体調が悪化したら、近所のかかりつけの内科クリニックがコロナ患者も診ていることは知っていたので、まずはそこにかかろうと思っていた。その前にフォローしてくれるシステムがあることは安心感につながると実感した。

かかりつけ医がコロナの観察もしてくれることに

報告や登録や、あれこれしているうちに昼過ぎになり、2ヶ月に1度、不眠症を診てもらっている主治医のリモート診察の時間になった。偶然、コロナ陽性を確認した日に診察の予定が入っていたのだ。

私の不眠症の主治医は、神戸市で在宅緩和ケア医をしている新城拓也先生だ。

2ヶ月に1度、15分ほど最近の睡眠状況や気になることなどをリモートで診察し、薬を出してくれる。

「最近、どうですか?」

いつもの質問が投げかけられたので、「実は今、コロナ陽性になりまして...」と伝える。すると、新城先生は意外な提案をしてくれた。

「じゃあ僕が診てあげますよ」

え?コロナも診てもらえるの?そうか、こんな手があったか。

新城先生は地元の神戸でコロナの患者も診ているし、私の家族構成から病歴から、今飲んでいる薬から、医療の知識がどれぐらいあるか、頑固な性格まで、隅々まで把握してくれている。1から説明する必要がなく、とても楽だ。

症状や症状が出た日、今飲んでいる薬などをテキパキと尋ね、必要な処方薬を郵便で送ってくれることになった。

「症状が悪化したり、相談したいことがあったりしたらいつでも連絡してください」

軽症の患者として私が抱えていた最大の問題は、「万が一の時の不安」だ。

まだ神戸のコロナ状況に余裕があったから診てもらえたのかもしれないが、この不安がいきなり初めから解消されることになったのは大きい。かかりつけ医がいることのありがたさを、コロナの感染で実感した。

処方薬届き、2日目に症状はほぼなくなる

その後、酸素飽和度は96〜97%をうろうろするぐらいで、体温も36度代前半から逆にじわじわと下がっていき、その後は35度台をキープし続けた。

咳については、既にストックしてあった市販の咳止めだけを飲んだが、スッキリ止まらない。

新城先生がすぐに郵便で送ってくれた処方薬は、翌日の午後には届いた。咳止めのメジコンを飲むと咳はほとんど出なくなった。だるさも無くなった。

結局、発症日を0日として、2日目の昼頃には症状がほぼなくなった。軽症の中でも特に軽症だったということだろう。

エイズ学会の市民公開講座もリモートで出演し、翌週からの仕事も休むことなくリモートでこなした。

翌週22日には、国産発のコロナの軽症者向けの抗ウイルス薬の飲み薬の承認を審査する厚労省の審議会もリモートで取材した

症状が改善するまで8日間かかるのを7日間に短縮できるという薬で、発症してから3日以内に飲まなければ効果がない。軽症の私のような人も対象となるわけだろう。

取材しながら自己負担が万円単位でかかりそうなこの高価な薬を私は飲みたいだろうかと考えると、今回処方してもらった1粒10円もしない薬で十分なんじゃないかと思っていた。

内なる差別に気づいてショックを受ける

というわけで、3日目以降は症状すらなく、仕事もリモートで続行して、問題なく自宅療養生活を送っていた私だが、強いショックを受ける出来事があった。

症状が治まり、初めてスーパーに買い物に行った時のことだ(※)。

※療養中の外出制限については、厚労省は「有症状の場合で症状軽快から24 時間経過後又は無症状の場合には、外出時や人と接する際に必ずマスクを着用するなど自主的な感染予防行動を徹底することを前提に、食料品等の買い出しなど必要最小限の外出を行うことは差し支えありません」としている。

いつものように野菜が並んでいる外の陳列棚を見て、入り口から入ろうとした瞬間、自分でも思ってもみなかった強烈な感覚が湧き上がってきた。

自分がけがれた、周りに害を与え得る危険な存在である、という感覚。子どもの頃の遊びで言うと、「エンガチョ」をされて、周りの人に避けられる存在であるという感覚だ。

スーパーの入り口で、自分と周りの人たちに見えない壁を感じて、思わず足を止めてしまった。

でも一瞬で理性的な自分が戻り、「ああ、これが感染症にまつわる差別や偏見の感覚なのだ」と気づいた。感染症や病気にまつわる差別や偏見をなくすために記事を書いてきたはずの自分が、こんな感覚をごく自然に抱いてしまったことに、強くショックを受けた。

コロナウイルスは正確な知識があり、適切な行動を取れば、周りにうつすリスクをかなり下げられる感染症だということは十分わかっている。

15年近く医療取材を続けて、病や感染症にまつわる差別と戦ってきたはずの自分がこんな感覚に支配されてはいけない。これまで3年近くコロナ対策を学んできて人に感染させない方法について知っているし、感染したからといってそんな負のレッテルを自分に貼り付ける必要はない。

それに無症状の感染者だっているのだから、スーパーの中にいる人たちと陽性を確認したけれど症状が無くなった自分がまったく異なる状態だと言い切ることもできない。

一瞬でそう思い直し、入り口で入念にアルコール消毒をして、欲しかったバナナや牛乳、ヨーグルトなどだけをサッとカゴに入れ、店員と言葉を交わすことなく短時間で買い物を終えた。

偶然、今年のエイズ学会市民公開講座のテーマは「差別との闘い」だった。HIVに関する正確な情報を身につけることが差別解消の第一歩だという議論をした。

まさにコロナに関して自分が自分に向けた差別の視線は、正確な知識と理性が解消してくれた。

感染リスクの管理を徹底するほど、差別や分断が広がるというジレンマ

その一方で私は、コロナ流行初期に文化人類学者の磯野真穂さんに寄稿してもらったコロナに関する差別を文化人類学的に考察する記事を思い出してもいた。

磯野さんは、イギリスの文化人類学者メアリ・ダグラスの「穢れ」に関する論考を引用しながら、人間は社会を防衛して維持するために、衛生観念だけでは説明できない「汚れた存在」を排除する、と解説する。

流行当初、医療従事者もコロナ陽性者と日常的に接する機会が多いため感染リスクの高い存在として遠ざけられ、その家族まで差別され、集団感染が起きた病院や学校なども必要以上に糾弾されてきた。

そして、感染拡大を予防するために、行政は水際対策をし、行動自粛を要請し、感染対策上リスクのある行動や環境を避けるよう啓発することをこの3年近く繰り返してきた。医療記者である自分も、それを繰り返し発信してきた。

そうした働きかけは実際、コロナによる感染を抑えることや死者の数を減らすことに役立ってきたはずだ。

だが、合理的に見える危機管理を徹底させた結果、差別や分断が広がるというジレンマを磯野さんはこの論考で炙り出す。

「あなたの無責任な行動が医療崩壊を招き、死者を増やすのだ」という呼びかけは個々人に危機感と責任感を植え付け、思考と行動の変容を促します。市民の相互監視も生まれ、それがさらなる行動変容を生み出します。

しかしこのような呼びかけは、自ら、あるいは自集団が感染しないために、感染リスクの高い人・集団を遠ざけるという判断をいやがおうにも生んでしまうのです。(『新型コロナウイルス対策下における差別解消は可能か? 魔女狩りの先に待つ、光あふれるユートピア』より)

ではどうすればいいのか?

磯野さんはこのジレンマを解消するのは理論的には難しくないとして、こう書いている。

掲げられたリスクの脅威を下げ、個人に課せられた責任を軽くし、誰もがかかりうる、誰もがうつしうる疾患とみなすことで、「感染拡大をさせない安全な集団」と、「感染拡大させる危険な集団」の分断を解消してしまえばよいのです。(同上)

オミクロンになって感染性は上がり、誰もが感染し得るウイルスとなった。実際、私が陽性者となったことを周りに打ち明けると、一線でコロナ診療をしている複数の医療者たちが「実は自分も感染した」と教えてくれた。感染対策のプロ中のプロでさえ感染するのだ。

もちろん、命や健康を守るためにも医療崩壊を招かないためにも、ワクチンや生活の中での感染対策がこれからも当分、重要であり続けるのは変わらない。私たちは3年近くコロナと付き合ってきて、基本的な対策は十分身につけてきた。

もう今なら、誰もが感染し得る感染症なのだと自分も周りも平常心で受け止めて、緩急をつけた対策を取れるはずだ。そんな発信も強めていかなければいけないなという気持ちを新たにした。

10日が過ぎるまで慎重に行動

現在の基準では、発症日を0日として8日目には自宅療養は解除された。

だが、医学的には症状があった場合は10日間、感染力は残るから、解除後の3日間も感染対策に気をつけなければならないと、私はこれまでも取材して書いてきた

趣味の居酒屋通いはすぐには解禁せず、12日目に一人で馴染みの店で快気祝いをした。

第8波に突入している今、コロナ前より席は減らしているものの、年齢層が高めな常連客が多い馴染みの店のカウンター席は、ほぼ満席だった。

日本でも対策緩和が進み、コロナを一般的な感染症にする方向に舵が切られている。でも、もし再び流行規模が大きくなれば医療は逼迫し、重症化リスクの高い高齢者や持病がある人は命の危険にさらされることになる。

これから私はどんなバランスでコロナを、感染対策を報じたらいいのだろうか。ほろ酔いの頭の隅でぐるぐると考えつつ、1時間ほどで切り上げて店を後にした。