“塚”の存在から町の歴史が見えてくる。地形を手掛かりに学生の町「江古田」を歩く

著: 皆川典久(東京スリバチ学会 会長)

西武池袋線で池袋から3駅の町・江古田。

今や、ひと昔ではなく「ふた昔」前となってしまった昭和の面影が残るノスタルジー漂う町だ。

「ザ・私鉄沿線」の駅らしく、駅前にロータリーなどはなく、駅を出るといきなり雑踏の中に放り出される。周辺には小さいながらも個性的なお店が連なった商店街と、車の進入を拒むような狭小(きょうしょう)な路地が広がり、ブラブラ歩くには格好の町である。

駅周辺には情緒あふれる商店街が広がっている

B級グルメにアート、ソフビまでそろう町・江古田

申し遅れたが、自分は東京スリバチ学会の会長として、都心の谷間や窪地(=スリバチ)に着目し、日々都内の町をブラブラしている変人だ。渋谷・四ツ谷・市ヶ谷・谷中など、「谷」のつく地名が多いことにも表れているように、「山の手」と呼ばれる東京都心部には、無数の谷間や窪地が存在する。しかも、そんなスリバチの地形は現在の町の姿に大きな影響を与えており、もはや谷や窪地こそが東京の個性といっても過言ではない(と勝手に考えている)。

勝手知ったる町も、何もないと思っていた町も、地形に着目すると、新たな町の魅力を「発掘」できることがある。今回はスリバチ学会流に、地形を手掛かりに実際に現地をブラブラしながら、「知られざる江古田」を掘り下げてみたいと思う。

まずは、よく知られる江古田の町の特徴を簡単におさらいしておこう。

江古田には、かつて「練馬のアメ横」とも呼ばれた江古田市場が存在したことが有名だ。残念ながら2014年に閉場してしまったが、1922年の武蔵野鉄道(現西武池袋線)江古田駅開業と同時に開場し、戦争を挟みつつ約90年ものあいだ人々の生活を支えた歴史的な市場だ。既に建物は取り壊されてしまっているが、「江古田市場通り」など、かつての名残は至るところに感じられる。

また、江古田は学生街としても知られている。駅周辺には、『のだめカンタービレ』の舞台となった武蔵野音楽大学、映画監督の片渕須直や作家のよしもとばなならを輩出した日本大学芸術学部(通称:ニチゲー)、そして広大なキャンパスを誇る武蔵大学があり、個性的な学生たちが町を闊歩する。

町には安くてボリューム満点の食べ物屋さんや老舗の喫茶店などが点在するほか、しゃれたショップやギャラリー、さらにはソフトビニール(略称:ソフビ)の怪獣人形を扱うマニアックなお店などもあり、普通に散策するだけでも十分すぎるほど楽しい町だ。

江戸時代につくられた用水路を発見

それでは、さっそくスリバチ学会流に町の魅力を歩いて発掘してみよう。今回、不運にも(?)同行してくれたのは、目下引越し先を検討中という会社の同僚。なんでも風水的な観点から、住むなら練馬近辺がいいらしく、ちょうどよかったので江古田を強引に推薦し、一緒に歩いてみることにした。

江古田駅南口。ここが今日のスタート地点だ

まずは、江古田駅の南口から散策を始める。駅前のレトロ感たっぷりの衣料品店横を抜け、「江古田ゆうゆうロード」という商店街に続く通りに出る。

江古田ゆうゆうロード

この通りは新桜台駅まで続いており、老舗の和菓子屋さんや薬局に交じり、ベトナム屋台のお店など新規店舗も軒を連ねる。

池袋に近いという土地柄も関係しているのか、江古田には外国人も多く住んでいるとのこと。確かに、よく見るとほかにもエスニック系の料理屋さんが点在していることに気付く。

雑多なものを取り込む包容力があると、町はより魅力的になると思う。古くから学生街として知られる江古田には、そんな寛容なキャパシティが伝統的に備わっているのだろう。

「にぎやかで買い物にも便利そう。夜も人が多そうだし、活気のあるいい町ですね」

引越し先を探しに来ている同僚が、そう声を弾ませる。完璧に地形散策気分だった僕は、早くも同僚の目的を忘れつつあることに気付き、「いかん、いかん」と思いながら、通りを池袋方面に向かう。すると、車やバスが行き交う千川通りへ出た。その名の通り、かつては「千川上水」が流れていた道だ。

千川通り

千川上水とは、江戸市中に飲料水を供給していた玉川上水から分水し、上野寛永寺や浅草御殿(浅草寺)などに給水することを目的に江戸時代初期に造られた用水路。

この通りは、ちょうど地形的には尾根筋*1にあたり、通りの南側は神田川水系、北側は石神井川水系になる。そして、尾根筋ということは、そこからそれると下り坂、あるいは谷間が待っているはずである。

さっそく特徴的な地形を見つけ、さらに深くまで散策を進めようとすると、同僚からまさかの「本格的な散策の前に腹ごしらえがしたい」との一言。

「せっかく楽しくなってきたところなのに……」と内心思いながら、近くの「好々亭」というレトロな定食屋さんに入ってみることにした。

緑のテントが目印の定食屋・好々亭

外観だけでなく、店の中まで昭和感たっぷり。壁に貼られた手書きメニューを見ると、その品数の多さと、メインのおかずを2品組み合わせたセットメニューでも800円という安さに驚かされる。おまけにご飯はおひつでたっぷり提供される! 限りない空腹に悩む学生たちの偉大なる味方だろう。

学生街らしい感動的なほどリーズナブルなメニュー

三叉路に見る、古道と近代都市計画のズレ

食事を済ませ、気を取り直して、ゆうゆうロードを西へと歩きだす。先ほどの千川通りとほぼ並行だから、この道も尾根筋をたどっていることになる。どこまでも続くこの道は、古くからある道に違いない(後で調べたところ、埼玉道という古道だそうです)。

西武線の踏切を越え、さらに行くと三叉路(さんさろ)に庚申塚(こうしんづか)がまつられていた。古い石碑や神社、寺院があるのは古い街道筋の証拠である。中でも、三叉路は「追分(おいわけ)」と呼ばれ、単に街道の分岐点の場合もあるが、古道と近代都市計画のズレによる結果であることも非常に多いため、見逃さないようにしたい。

庚申塚のある三叉路。三叉路は町の歴史を知るきっかけとなる

「まずは三叉路に注目しよう。折り重なった町の歴史を示すヒントが隠れている可能性大だから」

「なるほど、元々ゆうゆうロードとなる『斜め道』があり、その後に東西南北を基準にした格子状の町が上書きされたということですよね。ニューヨークのブロードウェイみたいに、元々『獣道』があり、その上に碁盤目状(ごばんめじょう)の道路が敷かれたように」

同僚は大学で建築や都市計画を学んだらしく、都市を見る目が鋭い。

「おもしろくなってきたね。今度は先ほど交差したにぎやかな通りへと行ってみようか。そこに、近代都市計画の記憶が眠っているはずだ」

品物が軒先にもあふれる市場通りのにぎわい

江古田市場の名残を感じさせる「江古田市場通り」。東へと進むと、八百屋さんや魚屋さんなどが軒を連ね、ところどころで買い物に来た主婦と、店の主人が談笑する様子が見られる。江古田での生活が想像できてきたのか、同僚はなんだかご満悦の様子。そのまま楽しく歩いていると……

「道路の先に森が見えますね」

市場通りの突き当たりに見える緑の森

正面を見ると、確かに奥にうっそうとした森が見える。もしや、あの場所に今の町の姿を形づくったヒントが隠されているかもしれない。

すべての始まりは富士塚にあり

道路正面に見えたのは浅間神社(せんげんじんじゃ)の鎮守の杜、そして市場通りの直線上に鎮座するのは富士塚だった。富士塚とは、本物の富士山までお参りに行けない人たちが、疑似的にお参りをするために江戸時代に造られたミニチュアの富士山のことだ。

江古田駅北口前に鎮座する浅間神社。拝殿の奥に富士塚がある

 

富士山へお参りに行く代わりとして、江戸には富士塚が数多くつくられた

参道入口から周囲を見渡すと、駅に向かって左側の道が下り坂になっていることに気付いた。「町のくぼみは海へのプロローグ」*2、下り坂の先には何かあるはずだ。

気になる方へと歩いて行くと、暗渠(あんきょ)らしき路地が出現。迷わず路地に入り、しばらく道をたどってゆくと、左からさらに別の暗渠が合流しているように思えた。地形マニアは微妙な空気の変化に敏感なのだ。

2つの暗渠の合流地点と思われる場所から、川筋を上流へとさかのぼる。道の両側が高台になっているため、明らかに川跡である。

蛇行する暗渠路をしばらく進むと、左手に江古田斎場が現れた。

斎場の先には富士塚の森が見えるので、塚はちょうど2つの暗渠に挟まれた舌状台地*3に位置するわけだ。そう、富士塚は元々あった凹凸地形をさらに強調するような形で築かれたことになる。

江古田斎場前の暗渠路。右側の歩道がかつての水路と思われる

ここで、「江古田市場通り」のにぎわいを改めて思い出してみると、近代都市計画は、地域のシンボル的存在だった富士塚を起点につくられたと見て間違いなさそうに思えてきた。富士塚を正面に望むその直線上を拠り所に、江古田の格子状街路は敷かれたのではないか。

町の歴史が見え始め、静かな興奮を覚えていたところ、ふと先ほどたどってきた暗渠路を見返すと、そこは緩やかなV字谷*4になっていた。ということは、V字谷の上流部、すなわち谷筋の源流はもう少し先にあるに違いない。暗渠路をさらに上流側へと歩き始める。

「まだ歩くんですか?」

同僚が話しかけてきた。しかし、散策に夢中の私の耳にその声は届かない。

たどり着いた交差点で確かめるように左右を見ると、どちらも上り坂。自分たちが谷間にいることを実感した。

「間違いない。このあたりが谷の先端だろう」

一人ほくそ笑んでいると、呆れたように、同僚が再度話しかけてきた。

「休憩にしませんか……? 歩き疲れましたよ」

ここで我に返り、同僚にとってはあくまで住まい探しが目的だったことを思い出した。

そのまま谷を上がり、落ち着いた雰囲気の喫茶店「モカ」を発見。木製の建具やテントのカラーリングが昭和レトロな雰囲気を醸し出す。

学生の町・江古田にはこのようなたたずまいの喫茶店が現役だ

扉を開け、珈琲の香りに誘われるように、そのまま1階のカウンター席に腰掛ける。2階にはテーブル席もあるようだ。

散策後は甘いものが欲しくなる。二人とも珈琲とケーキのセットをオーダー。待つ間、凛としたたたずまいで珈琲を入れるママに話しかけてみると、26歳のときに店を開き、なんと今年で44年目とのこと。昔、よく来ていた学生が、社会人になって数年後に再び訪れることも少なくないという。学生時代を過ごした町に、いつも変わらぬ場所があるというのは、なんともいいものである。

クラシックな喫茶店で過ごす至福の時。珈琲の香りが心地よい

2つの塚に育まれた町の姿

「今日はずいぶん歩きましたね。そうだ会長、江古田の地図って持ってますか? 本格的に引越し先として検討するためにも、今日歩いた町の様子を復習したいです」

カシミール3Dで作成した江古田駅周辺の凹凸地形図

持参したPCの画面に「カシミール3D」の段彩凹凸地形図を表示した。

千川通りが尾根筋にあたることや、ゆうゆうロードの道筋(埼玉道)が遠くまで続いている様子もよく分かる。先ほど歩いた富士塚と浅間神社を囲む二つの谷筋も一目瞭然だ。

「同じ場所を昔の地図で見るとこんな感じだよ」

カシミール3Dで作成した1896年ごろの江古田駅周辺の地図。緑に塗られているのが水田にあたる

1896年ごろの地図を眺めると、都市化される以前の江古田の様子がよく分かる。格子状の道などなく、人家もまばらで千川上水と埼玉道だけがしっかりと描かれている。先ほど歩いた谷筋が水田だったことも地図を見るとよく分かる。

そして、何よりも目立つのがやはり富士塚の存在だ。当時、何もない武蔵野の原野を見渡せば、富士塚の高まりがはっきりと目撃できたことだろう。古墳や塚など、凸地形を目印にするよう築かれた古道は多いが、興味深いのは凸地が2つ存在した場合、その間を縫うようにルート選定された古道が多いということだ。

「ゆうゆうロード(埼玉道)の反対側には、地形的な高まりが存在するかな?」

同僚と凹凸地形図に見入る。すると、浅間神社と線対称の位置に武蔵野稲荷神社が鎮座していることに気付く。

同僚がネットで検索してみると、どうやら本殿は小高い塚の上に鎮座されているとのこと。2つの塚を左右に見ながら、武蔵野の原野を走る埼玉道の往時の姿を妄想する。地形を手掛かりに、異なる時代の都市計画の記憶にたどり着くことができた。

「次はもっとさかのぼり、中世の歴史を地形で振り返ってみようか。江古田と言えば『江古田原・沼袋合戦』が有名だ。より広範な地形図を眺めてみよう!」

画面に江古田から沼袋にかけての凹凸地形図を表示してみて、愕然とした。

「今昔マップ on the web」の旧版地図を元に、カシミール3Dで作成した江古田から沼袋にかけての広域凹凸地形図

「これは!!」

思わず声をあげた僕に誘われるように、同僚が興味深げに画面を覗きこむ。散策を経て、少しは同僚も地形に興味を持ってくれたようだ。

「不思議な地形ですね。凹凸だらけじゃないですか! 沼袋って地名からして何か怪しいと思っていましたが、地形に関係があるんですかね?」

「沼のような湿地に囲まれた袋状の土地のことを沼袋と言ったのだろう。池袋も同じような由来だと思うよ」

「こんな複雑な凹凸を持つ土地で、歴史的に名高い中世の合戦が繰り広げられたんですね」

「江古田原・沼袋合戦は、この辺り一帯を領有していた豊島氏と、太田道灌(おおたどうかん)の戦いだったんだ。結果は、太田道灌の勝利。豊島氏は滅亡したんだよ」

カシミール3Dで作成した江古田原・沼袋の合戦の攻防の図

「そうなんですね。ちなみに戦と地形の間には、何か関係があったりするもんなんですかね?」

うかつにも同僚は聞いてきた。

「大ありだよ。僕が思うに、江古田原・沼袋合戦は遭遇戦*5と紹介されるけど、本当は勝利した太田道灌はこの土地を戦場に選び、待ち伏せしたんじゃないかな。豊島氏の居城は、平塚城と練馬城(現としまえん)、そして本城である石神井城だ。太田道灌はまず、江戸城に一番近い平塚城を攻撃する。すると石神井城と練馬城から豊島軍の本隊が出撃するだろうから、道灌はすかさず転進、石神井城へと軍を進める。この時点で、豊島氏は勝利を確信したことだろうね。なぜなら道灌軍を挟み撃ちにできるから。しかし、道灌軍は湿地に囲まれた台地に陣取り、前方後方からやってくる豊島軍をおびき寄せる戦法を取る。元々、平塚城攻めは豊島軍本隊を誘い出す陽動作戦だったのかもしれないね。そして、やってきた豊島軍は沼のような湿地にはまり、道灌軍は動きの止まった敵を丘の上から無力化していった。この辺りはまさに天然の要害*6、ア・バオア・クー*7かもしれない……」

しまった! 調子に乗り、一気に妄想を炸裂させてしまった。

しばしの沈黙のあと、同僚がポツリとつぶやいた。

「暗くなる前に不動屋さんへ行ってみますね」

一人会計をすませる同僚の背中を寂しく見送った。

 

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著者:皆川典久(東京スリバチ学会 会長)

皆川典久

2003年に東京スリバチ学会を設立し、凹凸地形に着目したフィールドワークを開催、観察と記録を続けている。2012年に『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)を上梓、翌年には続編を刊行。地形マニアとして、タモリ倶楽部やブラタモリなどのTV番組に出演。町の魅力を再発見する手法が評価され2014年には東京スリバチ学会としてグッドデザイン賞を受賞した。2017年12月には『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩・多摩武蔵野編』(洋泉社)を共著で刊行。合言葉は「下を向いて歩こう」。

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編集:はてな編集部

*1:谷と谷に挟まれた地形の高い部分の連なり

*2:スリバチポエムの一つ。東京スリバチ学会では、成果を発表する際に短いセンテンスにして発表する慣例がある

*3:河川の浸食により、舌のように突き出た台地

*4:河川の浸食により、断面がV字形をした谷

*5:敵と不意に遭遇することによって起こる戦闘

*6:地形がけわしく守りに有利な場所

*7:ガンダムシリーズに登場する架空の宇宙要塞