西田宗千佳のRandomTracking

第443回

nasne販売終了! 開発者がいま語る「torneとnasneの9年」

7月26日、ソニー・インタラクティブエンタテイメントは、2012年6月より発売したネットワークレコーダー「nasne」の出荷を完了した。2010年から続く「torne」関連製品の出荷はこれで完了したことになる。

nasne(右)とtorne(左)、トルネフ(中央)

アプリとサービスの利用は当面続くものの、その利用期間についてはアナウンスされていない。また、将来の後継機種の予定も公表されていない。

日常的に使っている人にはちょっと不安な状態にある。個人的にも多少残念に思う。

一方で、torne・nasneは9年にわたり、ほぼ同じ製品がそのまま使われている。特にnasneは、HDDの容量こそ増えたものの、ほぼ同じハードウエアがそのまま販売され続けた。これは「録画機器」としては異例に長寿な製品だ。また、同じハードウエアがソフトによって進化し続けた点も、家電製品としては特異な例といえる。

以下に、これまでの大まかな進化の流れをまとめてみた。この表を見るだけでも、torne・nasneが積極的なアップデートを続け、支持されてきたことがわかる。

torneとnasneのこれまで

こうした製品を、開発側はどんな思いで手掛けてきたのだろうか? 開発と商品企画のキーパーソンに、「いまだから話せるこぼれ話」も含め、聞いた。

ご対応いただいたのは、ソニー・インタラクティブエンタテインメント グローバルR&D東京部門 部長 兼UXリサーチ&開発室 室長の渋谷清人氏と、グローバルR&D東京部門 開発4部 部長の石塚健作氏だ。

ソニー・インタラクティブエンタテインメント グローバルR&D東京部門 部長 兼UXリサーチ&開発室 室長の渋谷清人氏(左)と、グローバルR&D東京部門 開発4部 部長の石塚健作氏(右)

周囲から「懐疑」の目で見られたtorne。状況を変えた「快速」EPGの実現

表でも記載しているが、torneは2010年3月に、PlayStation 3(PS3)用の周辺機器として発売された。

PS3とUSB接続して録画するtorne

ソニーがらみとしては、2003年にPlayStation 2のアーキテクチャを使った「PSX」はあったけれど、PSXのビジネスが終わったのちは、そうした動きもなかった。デジタル放送への本格移行に伴い、「テレビ録画」を実現する技術に対し、著作権保護を中心にさまざまな制約が生まれた結果、PCでの録画すら下火になっていった。

2008年5月、ARIB(電波産業会)でのデジタル放送運用ルールが緩和された。「適切な著作権保護技術を採用しているのであれば、外付け式のチューナーであっても受信と録画を認める」というものだ。この結果、ようやくPC向けの外付けチューナーが登場するのだが、PS3の外付けチューナーであるtorneも、このルール緩和から生まれた製品だ。

まず技術検討を行なったのが石塚氏だ。

石塚氏(以下敬称略):2008年に、いきなり上司が席にチョコクロワッサンを持って現れたんですよ。で、「PS3で録画ができないか」と。すなわち、torneはチョコクロで買収されたからできた(笑)。

真面目なところ、「PS3で録画を」という発想は、ずっと前からあったんですよね。

石塚健作氏

PS3発表直後(2006年)、CEATECに説明員として立っていたんですが、「HDDもあってブルーレイもあってテレビに繋がっているのに、テレビは見れないのか」とずいぶん聞かれました。たしかにそうだよな……とは思ったんです。

それに、デジタル放送になって以降、チャンネル切り替えは遅くなったしEPGは使いにくくてテレビ情報誌の方が見やすいしで……。これは個人的にもなんとかしたかった。

PlayStationを使えばもっといい体験ができるんじゃないか、というのが発端です。

その後、さまざまな技術検証の末、企画として渋谷氏など様々な人々がチームに合流し、商品化に向けて動き始めた。とはいうものの、「ゲーム機でテレビ視聴」という周辺機器が売れるのかどうか、当時のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)としてもまったく確信は持てなかった。そのため、開発がスタートし、発売に至るまでは、社内でも相応の軋轢はあったようだ。

「正直、nasneが出た後よりも、torneが出るまでの方がずっと大変でした」と渋谷氏は笑う。

渋谷:実は、会議の段階で出来上がっていて、見せたのは「番組表」だけだったんです。「こんなに番組表がサクサクと動きますよ」という点だけだった。

でも見せると皆、「ああ、テレビのUIにはこれだけ不満があったんだな」ということがはっきりとわかった。昔、PSXを作った時に考えていたことを、もう一度思い出させてくれました。

だから、番組表を見ただけで「商品化しましょう」ということになったんです。

渋谷清人氏

しかし、その後の道のりは簡単ではなかった。

torneはSCEとして初めての「テレビ製品」であることも問題だった。テレビ受信と録画くらい簡単だろう……と思われるかもしれない。だが、問題なく「全国」に対応させるのは意外と手間がかかる。特に、ケーブルテレビ経由で受信している地域の場合、それぞれで細かく仕様が異なるため、「地上波局の受信仕様に合わせる」だけではダメだ。

さらには、テレビには面倒な「運用規則」がたくさんある。著作権保護の問題もそうだが、torneのようにEPGをテレビに重ねたり、Twitterとの連携による実況機能を入れたり、と、野心的な様々な機能を入れる場合、そうした行為が「運用規則上問題ないか」を確認した上で、各テレビ局にお伺いを立てねばならない部分がある。

石塚:ARIBの運用規定への対応については、「ここまでだったら大丈夫」というギリギリの線を、ソニー側でARIBとの窓口をやっている方と一緒にやっていました。なので、そこは思われるほど大変ではなかったんですが……

渋谷:開発のある時期は石塚さん、ずっと会社にいなかったもんね(笑)。

石塚:受信検証のために、日本を20周しましたから(苦笑)。細かく色々あって、本当に大変だったんですよ。

渋谷:私も、テレビ局に挨拶回りをしましたから。

石塚:渋谷さんがスーツ着てるの、その時初めて見ましたよ(笑)。

渋谷:色々新しいことをやったので、民放の方々に挨拶にいって、色々ご説明はしました。

石塚:面白く思っていただける方も多かったんですが、怒られることもありましたね。いまだったらずいぶん違うのでしょうけれど。まだ、そこまで理解が進んでいたわけではなくて。

渋谷:「なんでこういう仕様なのか」と厳しく聞かれることもありましたが、最終的には、みなさん「テレビを見る量を増やすためならば」と理解していただけました。

ある局ではこんなことがありました。

検索やEPGなどの機能を説明すると、ある上層部の方が、机を叩いて言ってくれたんです。

「こういうものが出てきてくれないといけない。いいものだ」って。その局の役員が並ぶ中でですよ。

これはうれしかったですね。

全員が味方だったわけではない。

特に大変だったのは、SCE内にも説得すべき人々がいたことだ。「テレビチューナー」という製品をゲーム会社が出すことには、SCE内部にも異論があった。PS3は当時存在するデジタル機器としては高い性能を持つ機器だったが、それでも「ゲーム機」だったからだ。

ゲーム機はまずゲームが問題なく動かなければならない。PS3でゲーム以外のものを動かすことはできたが、問題は「ゲームと同時に動かねばならない」という、録画機ならではの課題である。PS3では、一応ゲーム以外の機能がゲームの裏で動き続けることも想定はされていたが、「ゲームと他の負荷の大きなタスクが動き続けることがあたりまえ」であるように設計されていたわけではない。

ゲームに影響を与える可能性があること、そして、開発のリスクを負ってまでtorneを出して売れるのかという点など、文句を付けようと思えばいくらも出てくるような状況だったのだ。

石塚:録画は、PS3のゲームの裏で動かないといけないですからね。実はtorneの前に、SCEヨーロッパが「PlayTV」というテレビ録画機器を作っていて、彼らからの情報も見ながら開発は進めていたのですが……。

それに、我々はゲームメーカーですから、当時のSCEは「毎秒60フレームで動くのが当然」という文化。大変なのはわかっていましたが、そこにユーザーニーズがあるのも分かっていたので、その点を磨きました。

渋谷:ヨーロッパでPlayTVを出したことで、プラットフォーム上の問題は明確になってきていました。その上でかなり進言して、当時のSCEのトップだった平井(一夫氏)からもバックアップをもらいました。その他にも、社内のハードウエア関連責任者には、バックアップしてくれる人が多数いたんです。

ゲームプラットフォーマーとしては、とにかく「ゲームが影響を受けない」ことが重要だったので、とにかくずっと互換性チェックをやっていましたね。

石塚:ほとんどのリソースをシステムが使っていたので、torneが録画とエンコーディングに使えるメモリーは、当初「128KB」しかなかったんです。使えるスレッドは1本だけ。後にはもう少しメモリーが使えるようになるんですが……。外からは見えないですが、水面の下で必死に足を動かし続けるように、細かい実装で対応していたんです。

渋谷:USBを使うことも問題で……。同時に他の周辺機器が問題なく動作するか、ということの検証と、問題の解決も大変でした。当時のUSBの帯域では、torneのチューナーとカメラ(PlayStation Eye)の同居がとにかく大変でした。

新しいテレビの見方を実装する点に否定的な人達もいた、という。

石塚:なぜこのようなことをするのか、と。だいぶやりとりはしましたね。

例えば、torne内での録画量を可視化する「トルミル」。あの数字は録画された実数から計算されるものですから、よく見ていくと、torneがどれだけ売れているかも可視化できてしまう。

「torneがあまり売れなかったらどうするのか。数でわかってしまう」とも言われたんですが。でも、そういうことじゃないでしょう……と。

torneに比べれば安産だったnasne、こだわりは「ソフト」に

結果的にだが、torneは売れた。社内での扱いも、他社からの見方も変わった。

その頃になると、SCE社内ではPlayStation Vitaの準備が進み、さらに先には、当時の次世代機である「PlayStation 4」の存在も見えてきた。torneで展開したものの「次」を考える時期がやってくる。

渋谷:社内での扱いも見方も変わって、いろいろ楽になりました。状況をひっくり返したわけで、それは……正直気持ち良かったですね(笑)。

だから、torneに比べて、nasneの企画はそこまで難しくはなかったです。torneが売れたことで、周囲からの期待感もありました。

石塚:もうハードルはなかったです。いや、大変だったんだけど(笑)、torneの時とnasneでは、大変さの軸が違った感じですね。ソニーの家電との連携の話も出てきましたし。いかに従来と違うものにするか、nasneの真価を見せるかがもポイントで。

渋谷:期待されていましたから、やっぱり次も驚かせたいし、「普通でなくヘンなことをやろうよ」という話はしていました。

PS3版torneではUSB接続の外付けチューナーを使っていたが、nasneからは、文字通り「NAS(ネットワークストレージ)にチューナーを付ける」形式に変わった。結果としてnasneは、VitaからPS4、そしてスマホやタブレット、PCに至るまで、多彩な機器で対応できるようになり、発売以降7年も使われる長寿製品になった。その発想は、PS3版torneでの苦労にある。

渋谷:PS3版の時代には、互換性チェックがとにかく大変だったんですよ。次をやるとしても「このままの仕様というのは、ないよね」という話になって、そこから、レコーディング機能自体を(ゲーム機の)外に出してしまった方がいい、ということになったんです。

石塚:問題は、PS3版torneの持っていたチャンネル切り替えの速度を担保できるのか? ということでしたね。

nasneには、前身になった機能があります。PS3版にあった「レコトルネ」という、ソニーのレコーダーとネットワークで連携する機能です。実際にやってみると、レスポンスの体験がPS3版とは全然違いました。

そのためnasneでは、ファームウエアでのバッファリングモデルを最適化することにこだわりました。そこにこだわることが、nasne自体の差別化点になると考えたからです。ファームウエアについては「ここを何ミリ秒でやって……」という単位でこだわりました。

そこまでやるのか? と思われたのですが、体感を損なわないようにするには、そういう工夫が必要だったんです。

意外に思われるかもしれないが、PS3版のtorneにしろnasneにしろ、ハードウエアとして非常に特別なパーツを採用しているのか、というとそうではない。

だが、ファームウエアやアプリのレイヤーについてはそうではない。開発陣がこだわりにこだわり、差別化した製品として作り上げている。

石塚:torneは、PS3版があってその後Vitaが出て、PS4版が出ることになりました。その後にはモバイル版もあります。

ハードに対してどう対処するか、という点については、初期からかなり考えていて、できるだけサポートコストを抑えた上で、どう対応していくかを考えて作っていました。ですからVita以降は、基本的に同じコードで動いています。

白物的に「気負わず使える」ことで長持ち、アプリだからこそ「長く使える」ように

特定のハードウエアから依存するものではなく、色々な機器に対応できる製品になったnasneは、2012年から7年間使われ続けた。その間、ハードウエア的な進化はほとんどなかった。HDD容量が変化したくらいだ。

nasneが代替わりしていかなかったのはなぜなのだろうか?

渋谷:弊社に「頻繁にモデルチェンジをしない」という文化があるから……ですかね。

レコーダーやテレビの場合、1年に1回ラインナップつくって出すのが基本です。しかしゲームプラットフォームはライセンシーとの関係があるので、商品チェンジについてはかなり慎重になります。ゲームパッドですら、あんまりやらない流れがいままでありました。

それに、「なにかしなきゃいけない」状態になかった、と思うんですよ。

同時録画数を増やすならもう一台買っていただければいい、という発想でしたし、容量についても同様です。

7年使い続けられたことも、「開発時にはそこまで長期間使われると、意識していなかった」と渋谷氏は言う。

渋谷:正直、ライフサイクルは考えずに作っていました。もちろん、ハードウエアの耐久年数的な意味でのライフサイクルはあるんですが。こうやって7年くらい現役で動いているのは、作った側からしてもうれしいことです。

自宅でも妻や子供はなにも気にせずtorneを使っています。「torneで見なきゃ」とか、そういう気負いがあるような感覚でもない。自分でも、いまだに古さやライフサイクルを気にせず、torneを使っています。

ある意味白物家電的というか、「壊れるまでつかい続ける」ような世界。細かな編集機能のような、機能的なハイレベルさを求めている領域ではないんじゃないか、と思うんです。

テレビは4Kになっていて、nasneでは対応できていません。もちろんやろうと思えばできたんですが……。その方向じゃない。

石塚:そういう意味では、なかなか他の機器で、同じような体験が出来ていない、「次に行こうとする選択肢がない」とは言われますね。

とはいうものの、石塚氏は、スタート段階から「torneが長く使われる」ことを意識し、予想もしていた。

石塚:公には言いませんでしたけど、個人的には「torneは10年やる」と、最初から言ってました。なぜなら、「アプリで変えていく」とはそういうことだ、と思っていたので。体験が重要なものなので、続けることに意味がある、と思っていたんです。

前出のように、Vita版以降のtorneは、できるだけ同じソースコードを使いつつ、機器に依存する部分だけをゴリゴリに最適化する、という方法論で作られている。これは、長期にメンテナンスするために必要なものだった。

また、「トルネ屋」というアプリ内ストアが作られ、特別な機能やスマホ向けの機能などが「追加購入」になっているのは、アプリとして独立した収益源を得るためだった。今もtorneの維持・開発には、こうした収益源が生かされているという。

すなわち、今後も長くtorneが使えるにはどうしたらいいかというと……。

torne/nasneを継ぐものはなぜ生まれなかったのか

なぜnasneの後継は出なかったのか? そのまま販売が続くことはないのか?

そこには「ビジネスとしての売り上げ」という、世知辛い話もある。だが、それだけが理由、というわけでもないようだ。

渋谷:同じことはやりたくない、という気持ちがあったので、「やるなら新しいことを」という風には思っていました。

問題は、その必然性があったのか、ということなんです。いろんなニーズを考えて作ってきたので、「すぐに変えなきゃいけない」という必要性がなかった。もしやるんだとすれば、ここ(nasne)からのジャンプが必要でした。

そうなると、時代的にも、色々考えることがあったわけです。

「これからの時代、録画にハード必要? 」、「録画って、まだ必要? 」ということなんですが。

ネットでの視聴がこれだけ広がってくると、ローカルでの視聴とは違う形があり得ます。TVerのようなものも普及してきて、テレビ局自体が改革し、マインドセット全体が変わっていく時代ですから……。

テレビの視聴形態も、変わって来ていると思うんです。それこそ、ストリーミング配信でインタラクティブなドラマ(Netflix「ブラックミラー:バンダースナッチ」のような作品)が生まれている時代ですから。ユーザーに近い、新しいコンテンツが生まれてくれば、新しいものの出番も……とは考えています。

現状、nasneの後継機については一切コメントがない。torneのアプリ提供やサービスの継続は「当面続けられる予定」だが、いつまで、という点についての情報はない。

石塚氏の部署はtorneのメンテナンスと運用を続けているが、別に新しい仕事も待っている。渋谷氏も、新しい製品の開発へと移行している。現在は外部にまだ言えない「新たな開発」に、2人とも取り組んでいる最中だ。

個人的には、nasneのような製品はもっと売り続けて欲しい。だが、製品には終わりがつきものだ。一方で、少なくともtorneが「ある日使えなくなってnasneの番組が見れなくなる」ことは避けて欲しいとも思う。

本当ならば、家電機器が皆torneのように素早く動く時代になっていれば、こんな悩みもなかったのだろう。

そう考えると、torneが生まれてからの10年、nasneが生まれてからの7年の間に、「torneやnasneがなくてもユーザーが困らない時代」がこなかったことがtorne/nasne長寿の理由であり、想定外のことだった、と言えるのかもしれない。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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