ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時感じたこととか。思いは言葉に。

Twitterにいるオタクの皆さん、もっと軽率にブログとか始めてもいいのよ……

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つい先日Twitterで呟いたことなんですけど、改めてブログにも書いておこうかな、と。タイトル通り、「Twitterにいるオタクで割と作品語りとかする人、もっと軽率にブログとか始めちゃってもいいのよ・・・」というやつ。

 

 

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例えば、自分の好みの絵を描く人がTwitterにいたとして。

 

ツイートで不定期に絵を放流してくれて、毎度いいねを付けるけども、例えばPixivとかの「固定」された母艦に突っ込んでくれていると(アーカイブ化してくれていると)、後からまたまとめて拝見したい時にすごくありがたい・・・ という場面、ないですか? 私はあります。むしろ、絵というより、自分の場合はテキストですね。誰かが呟いた「映画の感想」「アニメの感想」「漫画の感想」「ドラマの感想」、エトセトラ。

 

何度もこのブログにも書いてますが、私は他人の感想を読むのが大好きで。読者登録しているブログを巡回して回るのがれっきとした趣味だし、それと同じくらい、Twitterのタイムラインも大事なインプットの場所で。こうやってブログを書くのも、もはや「生き癖」の域ですが、「アウトプットにはその何十倍ものインプットが必要」を常に心がけています。

 

そんなもので、Twitterのタイムラインには私の趣味範囲で「映画」や「特撮」の感想を呟いてくれる人が沢山いるのですが、どうにも、前述のツイートのように、流れてしまうんですよね・・・。ツイートは一期一会。もちろん原則は「なう」なので、それが当たり前なんですけどね。

 

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だから、「この人のリアルタイム時の感想」や「公開当時のツイート」を探して、検索をかける訳です。読みたいので。しかし、Twitterのオフィシャル検索機能は漏れが多いとか、シャドウバンされてしまっている人のツイートが拾えないとか、満足いくことの方が少なくて・・・。

 

そもそも、「その人」が必ずツイートに作品タイトルを含めている保証はどこにもないんですよね。「クライマックスで泣いた。あれはズルい」なんてツイートがあったとして、その前後の呟きと併せて読まなければ、単体では意味不明な投稿になってしまう。

 

だから、これはもう完全なるお願いベースの話でしかないんですけど、「もっとブログとか軽率に始めちゃってもいいのよ」、と常々漏らしていまして。流れてしまう一期一会のツイートを、「記事」という箱に入れておくだけ。私が今書いているこの「はてなブログ」もそうですが、Twitterを貼り付ける機能は今時およそどこも完備しているでしょうから、ただ呟いた一連のツイートを放り投げておくだけで良いと思うんですよ。私が冒頭に貼ったみたいに。それだけで立派な「記事」になる。

 

・・・ということを書くと、「ツイログやってるからそっちで探してくれれば」という意見も頂戴するのですが、単に時系列でガーッと積み重なっているものって、どうにも探しにくい感覚があって。ツイログとブログの最大の違いは、「体系的に分類できる」ことだと思うんですよ。もっとシンプルに言うと、ツイログは「○○についての感想まとめ」みたいなやり方に向いていない。ふせったーの個人アカウントページも同様ですね。まあこっちは、そもそも本人が閲覧OKに設定しているかという問題が別にあるんですけど。

 

しかしまあ、当然皆さん思いますよね。「なんでよく知らないお前なんかのためにわざわざブログをやらなきゃならんのだ」と。いやぁ、当然。正論です。私がこうやってウダウダと書いているのは、あくまで提案というか、お誘いのニュアンスです。

 

要は何の提案かというと、私がいつもこのブログにも書いている、「ブログの最大の読者は書き手自身である」という点に尽きるのです。「記事」として感想を「固定」すると、誰よりも自分自身が嬉しいのです。後で読み返した時とか、もうね、本当にたまらないですよ。「そうそう、そのシーンだよね!」「わかる!」「確かにここは惜しかったよね!」という、見事なまでの共感の嵐。そりゃそうなんですよ、自分が書いているんですから。

 

でも、こうやって記録をしっかり「固定」しておくことで、後で読み返すことで一気に記憶が蘇るんですよ。例えばアニメの2期が始まる前に1期の頃の自分の感想を読み返したり、例えば映画の続編、例えば同じ作者による前作など、テキストって不思議なもので、その数行がワッと記憶の底に沈殿していたシーンの数々を呼び起こしてくれる。ポイントは、「どんな物語だったか」だけでなく、それに付随する「自分が何を感じていたか」。

 

脳の容量も無限じゃないので、それをブログ等に移しておくイメージですね。ブログは、趣味分野における脳の疑似クラウドストレージになり得るんですよ。

 

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なので、Twitterで一期一会の感想を放流していくのもすごく好きなんですけど(自分もかなりのツイ廃なので)、それをもう一歩、別の場所に「固定」してみませんか、と。そういう話です。

 

もちろん、「一期一会で流れるからこそTwitterに感想をこぼしている」という人も少なくないと思うので、それはもうTwitterの方が適していると思います。瞬間瞬間の情熱を叫ぶには、Twitterの方が向いているんですよね。速度があるし。だからこそ表裏一体でもあって、TwitterにはTwitterの、ブログにはブログの、それぞれの「届く範囲」「届く速度」があるよなあ、と。

 

というのも、このSNS大時代においても、「長文感想語り」って意外と根強い需要があると思うんですよ。私はずっと、ここを信じて疑っていなくて。(まあ、「長文」の定義はどこからだ、って話でもあるのですが・・・)

 

例えば、連続ツイートでどんどんツリーをぶら下げる人も少なくないですが、140字×5ツイートだけでも700字ですよ。作文に使う原稿用紙だと、これだけでもう1枚半以上。メモ帳スクショ文化もやはり絶えない。あと、ふせったーの伏せ字を開いたら「解釈メモ」とか「キャラクター語り」とかでゆうに3,000字は超えそうなテキストが並んでたりするじゃないですか。そして、それが結構な数RTされてたり。そういうの、身勝手ながら勿体ないと思ってしまう時があって。「固定」されてないと、この熱もどんどん流れていってしまうよな、と。

 

という感じで、前々から口癖のように「ブログはいいぞ〜」と呟いているのですが、お決まりのように返ってくるのが、「だってブログって、なんかちゃんと書かなきゃいけない感じになって、手が止まるんですよね」、というやつ。

 

そんなこと、そんなこと無いんですよ。前述のように、まずはTwitterのツイートをそっくりそのまま連続で貼り付けるだけで良いと思うんです。それだけで、一期一会の「なう」が立派な「記事」になります。箇条書きだって良いじゃないですか。タイトル? 「○○の感想まとめ」とかで良いんですよ。別に最初から気の利いた文字列なんて要らないんですよ。サイトのデザイン? 定形デザインで好みのやつにしておけば良いんですよ。最初から作り込まなくても、最近のは本当によく出来てますよ。

 

ブログって、SEOがどうだの、アクセス数がどうだの、アドセンスだの副業だのって色々とアレなイメージを持っている人もいるかもしれませんけど(自分も数字を話題にするので人のこと言えませんが)、そもそもはウェブ(web)のログ(log)でウェブログ(weblog)ですからね。ログ、つまりは単なる「記録」なんですよ。良い意味で、「大したことじゃなくてもいい」んです。 肩肘張る必要はどこにもない。

 

気軽に自身の感想を「固定」していく生活、どうでしょう。オススメですよ。楽しいですよ。Twitterにいるオタクの人って、もちろん全員がそうだなんで主語デカなことは言いませんが、ブログに向いている人がいっぱいいると思うのです。改めて書きますが、ブログは、趣味分野における脳の疑似クラウドストレージなのです。

 

貴方のアウトプットが、誰かのインプットになって、回り回って未来の貴方のインプットにもなる。少なくとも私は、今やこのサイクルが生活には欠かせなくなっています。

 

ブログサービス、今の時勢だとやはり「はてなブログ」がオススメでしょうか。全体的に扱いやすいです(このブログも「はてな」です)。あと、「note」もシンプルでお洒落ですよね。

 

hatenablog.com

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