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ネットで拡散した「若き日の津田梅子」の写真、別人だった。

「オーラが半端ない」「現代に生きる少女が勇気をもらえる写真」など、新紙幣のデザインにすべきという声も出ていたが…。

新5000円紙幣のデザインに採用された津田梅子。Twitter上では、若き日の津田梅子とされる肖像写真が拡散され、こちらを新紙幣のデザインにしてほしいといった意見が出ている。だが、この写真は津田梅子ではないことがわかった。

何があったのか

4月9日、政府は2024年度をめどに紙幣デザインを刷新すると発表。このうち5千円札には、日本初の女子留学生となった津田梅子(1864年〜1929年)の肖像写真を採用した。

発表から4日後、Twitter上では「津田梅子の肖像、ぜったいこっちで行くべき」という言葉とともに、洋装をまとった女性の白黒写真が投稿された。

同日、大学教員のアカウントがこの投稿をリツイート。さらに「オーラが半端ない」「現代に生きる少女が勇気をもらえる写真」などの文言と共に、津田梅子とされる写真が掲載されたサイトのリンクを投稿した。

このツイートは4月15日午後1時現在で2100回以上リツイートされたが、現在は削除されている。

結論から言うと、この女性は津田梅子ではない。旧華族の一柳満喜子(ひとつやなぎ・まきこ、1884年〜1969年)だ。結婚後は滋賀県の近江八幡市で生涯を過ごした。

BuzzFeedNewsは、Twitterで拡散されていた写真を近江八幡市文化観光課に照会。一柳満喜子の肖像写真であることを確認した。

謎の女性、その名は…

一柳満喜子は、播州小野藩最後の藩主で子爵となった一柳末徳の三女として誕生。NHKの連続ドラマ「あさが来た」の主人公のモデルとなった広岡浅子の娘婿・広岡恵三の妹でもある。

幼少期の満喜子は、父の愛人らとともに同居するなど、複雑な家庭環境で育った。

こうした背景もあり、満喜子は自立した女性としての生き方を模索。華族の子女が通う華族女学校(現在の学習院女子中・高等科)ではなく、女子高等師範学校附属女学校(現在のお茶の水女子大付属高校)に進学した。

この頃に出会った恩師の一人が、津田梅子であった。

さらに神戸女学院などで学んだ後、1909年にアメリカへと渡った。

帰国後、アメリカ出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズと結婚。ヴォーリズは、同志社大の今出川キャンパス校舎群や明治学院大学の礼拝堂などを設計。さらに塗り薬「メンソレータム」の輸入販売を手がけ、現在の近江兄弟社メンタームの礎をつくった。

満喜子もまた教育者として活躍。近江兄弟社高校(学校法人ヴォーリズ学園)などの基礎を築いた。

なぜ誤解が広がった?

一柳満喜子の写真は、なぜ「津田梅子」として拡散されたのだろうか。

「津田梅子」を画像検索すると、上位に一柳満喜子の写真が表示された。この写真は、著名人の誕生日を紹介するまとめサイトや「Naverまとめ」などで、津田梅子として紹介されていた。

こうした背景から、一柳満喜子の写真を若き日の津田梅子と誤って投稿する例が生じたと思われる。