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日経コンピュータ編集長 浅川直輝
日経コンピュータ編集長 浅川直輝
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 コロナ禍の経済対策として政府が国民に一律10万円を配る「特別定額給付金」のオンライン申請で自治体の業務が混乱している――。2020年5月から6月にかけ、新聞やテレビは連日、この話題を取り上げた。

 マイナンバーカードとマイナポータルの「ぴったりサービス」を使って2020年5月1日に始まったオンライン申請は、申請者による氏名や住所などの誤入力や二重申請が相次いだ結果、自治体が持つ住民情報との照合に多大な手間がかかったという。総務省は2020年6月2日、同月1日までに43自治体がオンライン申請の受け付けを停止したと明らかにした。

 ただし実際には、オンライン申請が総じて「ダメ」だったわけではない。混乱する自治体職員の姿がテレビで報道される陰で、狙い通り早期の給付にこぎ着けた自治体も多かった。

 ある都内の自治体はExcelの手製ツールを使い、申請データと給付対象者リストを突合し、世帯構成人数の一致を確認。作業を省力化した結果、5月20日時点で申請の9割近くの給付を完了したという。郵送での手続きと比べ、1カ月近く早い給付ができた格好だ。

 なぜ「うまくいく自治体」と「うまくいかない自治体」に分かれたのか。その理由を知り、改善策を図るには、自治体のシステムの現状やマイナンバー制度が設計された経緯を遡る必要がある。

なぜ「自動入力」ができないのか

 今回のオンライン申請で一部の自治体の業務が滞った理由の1つに、氏名や住所の誤入力が多かった点がある。おおよそ申請の1割に何らかの誤入力があり、大半は自治体職員の職権で修正できたが、中には申請を受理できないものもあったという。

 オンライン申請に続き実施された郵送方式では、あらかじめ帳票に世帯主や世帯構成員の情報を印字してあり、誤記入の余地はない。なぜオンライン申請でも、世帯主や世帯構成員の名前をあらかじめ自動入力できなかったのか。

 その主な理由として、万一不正アクセスがあった際の被害を最小化する他に、自治体が持つ氏名・住所の情報を1つのシステムに集約する行為が解釈次第で憲法違反ととられかねない点がある。

 マイナンバー制度に基づき行政機関と自治体のシステム間で住民のデータをやり取りする「情報提供ネットワークシステム」には、自治体が持つ住民の氏名・住所・性別・生年月日、いわゆる「基本4情報」を送信してはならないという運用ルールがある。

 今回のオンライン申請に使われたマイナポータルの「ぴったりサービス」はログイン不要のWebフォームであり、そもそも自治体のシステムから4情報を取り出す機能は全く想定されていない。今回のオンライン申請ではマイナンバーカードに記録された基本4情報を呼び出すことで、申請者である世帯主の氏名や住所は自動的に入力できるが、世帯主の家族の情報までは読み出せず、手入力するほかない。

*さらに、マイナンバーカードから呼び出せる氏名・住所の文字コードは、自治体が住民情報の管理に使う「住基統一文字」とはコード体系が異なる。これは住基統一文字が使えない一般的なパソコンでも氏名・住所を扱えるようにするための措置だが、両者の氏名・住所を機械的に照合するのは難しい。

 仮にマイナンバーカードを使ってマイナポータルにログインしたとしても、やはり氏名や住所などの情報は引き出せない。情報提供ネットワークシステムにそうした機能がないためだ。今回のオンライン申請において、郵送方式のように世帯主・世帯構成員の氏名や住所を事前に取得できなかったのはこのためだ。

 これはマイナンバー制度を運用するシステムが、2008年3月6日のいわゆる「住基ネット最高裁判決」を踏まえて設計されていることに起因する。

 この裁判では、本人確認のため自治体が持つ基本4情報をやり取りできる「住民基本台帳ネットワーク」について、個人のプライバシー権を侵害し憲法13条に違反するかが争われた。

 この裁判で最高裁判所は住基ネットを合憲と認めたが、その根拠の1つに「個人情報を一元的に管理することができる機関又は主体は存在しないこと」を挙げた。

 この判決の後に設計され2015年に運用が始まったマイナンバー関連のネットワークシステムは、この判決を元に「個人情報の一元的な管理」を徹底的に避ける仕様となった。

 自治体と行政機関の間で「世帯主との続柄」「所得」といった個人の属性情報をやり取りする際は、氏名や住所などはネットワークに流さず、マイナンバーから生成した「符号」に、所得などの属性情報をひも付けて送受信する。

 もし仮に、今回自治体が郵送申請のため各世帯に送った印刷物と同じものをマイナポータルで扱えるようにした場合、自治体からマイナポータルへ氏名や住所などの情報が集約されるため、運用ルールに違反する――少なくとも、マイナンバー制度を運用する内閣府や総務省などはそう解釈している。

 記者の立場からみると、こうした帳票をマイナポータルから一時的に閲覧できるようにする分には、散在情報を個々の住民に送付しただけであり、データベースへの一元的な集約に当たらないように思える。

 ただ、憲法違反とみなされる可能性が少しでもあるような運用を、行政が現場の判断で実施するのは難しい。ここは「政治」の出番であり、立法府である国会の場で打開の道を探ってほしいところだ。