人類の歴史を紐解いていくと、ときどき歴史が大きくうねることがあります。

 歴史が大きく動くその要因は様々ですが、そのひとつに「知の解放」があります。支配者側の都合でいえば、民衆が無知であればあるほど御しやすいため、洋の東西を問わず古今を問わず、支配者側は「知の独占」を望み、大衆をできるかぎり“無知の檻”に閉じ込め、それによって支配を円滑かつ盤石なものにしようとしたがります。

 しかし、「知の独占」をつづけたい支配者側と「知の解放」を求める庶民との間でしばしば衝突が起こることになりますが、このときかならず歴史が大きくうねることになるのです。

 現在、まさに世界は「知の解放」の只中にあり、歴史が大きく動こうとしています。今回はそのことについて歴史的に迫ってみたいと思います。

古代における「知の解放」

 人類史上唯一、地中海世界を統一することができた国は、後にも先にも古代ローマのみで、これ以外ひとつたりともありません。

 それほどの“偉業”を成し遂げた古代ローマですが、建国当初はイタリア半島の中ほどにポツンと生まれた小さな小さな都市国家にすぎませんでした。そんな“点”のような国が、なぜ人類史上唯一の「地中海帝国」を築きあげることができたのでしょうか。

紀元前6世紀頃から紀元3世紀頃まで、古代ローマの政治・経済の中心地だった「フォロ・ロマーノ」の遺跡。(写真:PIXTA)
紀元前6世紀頃から紀元3世紀頃まで、古代ローマの政治・経済の中心地だった「フォロ・ロマーノ」の遺跡。(写真:PIXTA)

 ローマが初めて共和政を打ち建てた当初、ローマは貴族(パトリキ)による「知の独占」状態にありました。当時はまだ「慣習法」であり、法体系が成文化されておらず、それは貴族だけに独占されていたのです。

 平民(プレブス)には法体系が知らされていなかったため、もし「貴族 vs 平民」で諍(いさか)いが起これば、司法(貴族で独占されていた)はかならず貴族にとって都合のよい法解釈を以て判決を下したため、平民は「後出しジャンケン」をさせられているような形で確実に負けます。

そんな法律、知らんぞ!

 しかし、司法は「お前たちは知らないかもしれぬが、そういう法なんだから仕方がない」の一点張り。

ならば、その法体系をあらかじめ我々(平民)にも公開しろ!

 こうして平民は「知の解放」を要求。

 貴族と平民の対立が深刻化すると、ついに貴族も折れ、法体系を公開することになりました。これがよく人口に膾炙(かいしゃ)している「十二表法」(*注1)です。

*注1 紀元前450年頃、古代ローマにおいて初めて定められた成文法。内容は民事訴訟や刑事訴訟、祭祀(さいし)などに関する諸原則。そのかなりの部分は既存の慣習法を成文化したもの。ローマにおける階級闘争の産物であり、貴族・平民の形式上の平等化と平民の保護とを大幅に推進、貴族の恣意的な法運用は難しくなった。

 こうして、貴族から平民へと平和的に「知の解放」が行われたことによって貴族と平民の結束が図られ、以降ローマは発展し、様々な紆余曲折を経て、やがて「地中海帝国」へと発展していくひとつの起点となったのでした。

中世における「知の解放」

 時代が下って中世ヨーロッパでは、キリスト教会が「知の独占」を図っていました。古代ローマにおいて貴族が独占しようとしたのは「法体系」でしたが、中世においてローマ・カトリック教会が独占しようとしたのは「神の教え」──すなわち『聖書』です。

 中世教会は「聖書をラテン語以外に翻訳してはならない」と厳命しました。当時、ラテン語を読むことができるのは、聖職者とごく一部の知識人くらいで、庶民はまったく読めませんでしたから、「読めない聖書」にすることで「知の独占」を図ったのです。

 キリスト教世界にあっては、「聖書こそが法」でしたから、古代ローマの貴族が「法体系を独占」することで権勢を独占しようとしたのと精神は同じです。

 庶民が聖書の中身を知ろうと思ったら、教会に赴いて神父が聖書を朗読するのを耳にするしかありませんでしたが、神父は教会にとって都合の悪い箇所はけっして読まないため、庶民が聖書の全貌を知る術はありません。

 これにより、教会がどれほど聖書の教えに反する“瀆神(とくしん)行為”を犯そうとも、それが庶民の知るところとならないため教会批判は封殺され、教会からの自己批判も生まれず、悪事のやりたい放題、女性に性的暴行を加えるわ、売官はするわ、「娼婦政治(ポルノクラシー、10世紀前半のヨーロッパにおいて、ローマ教皇が娼婦などの女性たちにより強い悪影響を受けたとされる時代)」などと呼ばれる腐りきった状況に陥ります。

 ラテン語が読める一部の知識人たち(大学教授など)は、「聖書に書かれた神の教え」と「教会の実態」があまりにもかけ離れたものであることはわかっていましたしそれを嘆きもしましたが、一知識人ごときでは「知の独占」を武器に絶対的な権威を有していた教会に逆らう力などなく、“泣き寝入り”状態が長くつづきます。

 ところが、ひとつの“技術革新”が教会による「知の独占」を決壊させ、歴史を大きく動かすことになりました。

 それが「印刷術」です。

 中世までの書物は、書写(手作業で書き写すこと)でしか複製できなかったので、庶民にはおいそれと手の出せない高級品でしたが、中世末期になると急速に「印刷術(木版印刷・活版印刷)」が普及したおかげで安価な書物が大量に流通するようになったためです。

ヨハネス・グーテンベルク(1398年頃~1468年)が1455年、活版印刷により製作した聖書。印刷技術の発明は、人類の知の解放に計り知れない貢献をした。この後、聖書は大衆に普及していく。(写真:提供:Bridgeman Images/アフロ)
ヨハネス・グーテンベルク(1398年頃~1468年)が1455年、活版印刷により製作した聖書。印刷技術の発明は、人類の知の解放に計り知れない貢献をした。この後、聖書は大衆に普及していく。(写真:提供:Bridgeman Images/アフロ)

 これにより、知識人たちが教会腐敗を糾弾する本をつぎつぎと出版し、英訳聖書・独訳聖書・仏訳聖書など、聖書を各国語に翻訳しはじめます。

皆の者、よく聞け!
  神の教えは聖書の中にあるのであって、教会にではない!
  今の教会は腐りきっている!
  個々人が聖書をよく読み、教会の指導ではなく聖書の教えに従え!

 これが所謂「宗教改革」であり、教会による「知の独占」が崩れたことによって、盤石だった教会の支配体制は足元から崩れ落ち、近世の幕開けが始まったのでした。

近代における「知の解放」

 こうして、安価な書物が大量に出回るようになったことで大規模な「知の解放」が行われ、庶民の誰でも「知を享受」できる態勢が整いましたが、権力側もなお「知を独占」するべく抵抗を試みます。

ならば、大衆どもに文字を教えなければよい。

 こうして各国政府は国民にまともな教育を与えず、このため庶民は書物はあっても読むこと叶わず、これにより民衆を“無知の檻”に閉じ込めておく目的はある程度達成されました。

 ところが、近代に入って「産業革命」が起こり、また「国民国家」が生まれると、そうもいっていられなくなります。

 産業革命を円滑に運営し、また国民軍を実用水準に引き上げるためには、どうしても国民に一定の教育を与えざるを得なくなったためです。[この因果については長くなるのでここでは割愛します。詳しくお知りになりたい方は、拙著『戦争と革命の世界史』(大和書房)をご参照ください。]

近代になって「国民」があらたに登場するのにともない、国民のレベルを引き上げるために義務教育が与えられるようになった。産業の発展や軍の質の向上を目的とするものだったが、結果として国民の識字率は大きく向上し、知の解放が進展した。(写真:PIXTA)
近代になって「国民」があらたに登場するのにともない、国民のレベルを引き上げるために義務教育が与えられるようになった。産業の発展や軍の質の向上を目的とするものだったが、結果として国民の識字率は大きく向上し、知の解放が進展した。(写真:PIXTA)

 このとき、国民国家に生まれ変わることができなかった専制帝国(ドイツ帝国・オーストリア帝国・ロシア帝国など)は、たちまち“時代遅れの体制”と化し、第一次世界大戦を戦い抜くことができず、20世紀初頭までにつぎつぎと崩壊していくことになりました。

「知の解放」に逆らう者は滅びる

 さて。

 古代ローマでは、「知の解放」の動きに対し、貴族自らこれを実行したことで、ローマはその後の発展の礎を手に入れました。

 中世キリスト教会は、この動きを断固圧殺しようとしたために教会の絶対支配が崩壊していきました。

 近代に入り、義務教育という「知の解放」の動きが起こると、この時代の流れについていけなかった専制帝国は一斉に姿を消していきました。

 このように、人類の歴史上、何度かの「知の解放」が起こりましたが、そのたびにこの動きに応じた国家・組織が発展し、これに抵抗した国家・組織がたちまち亡んでいったことがわかります。

活字を読まない層にも「知の解放」は及んだが…

 しかし、こうして「義務教育」が施され、下々の者まで字が読めるようになっても、「活字を読まない層」というのは相当な割合で存在します。ところが20世紀に入ると、新たなる技術革新によって、これら“活字を読まない層”にまで「知の解放」が起こりました。それが、ラジオ・テレビ放送の始まりです。これにより、活字を読まずとも目に耳に“自動的に”情報が飛び込んでくる時代がやってきました。

 事ここに至り、上から下までほぼ万民に対して「知の解放」が完成し、「知の独占」と「解放」の戦いの歴史でもあった人類の歴史も、ここでようやく終止符が打たれるか──に思えました。

 しかし。

 敵(権力側)もさるもの引っ掻くもの。

 もはや「知の解放」を押し留めることは不可能と悟った権力側は、今度は「知の解放」の逆手を取り、むしろこちらから進んで“権力にとって都合のよい思想”を垂れ流し、知を統制することで、思想誘導を図るようになります。

 「知の独占」を図るのではなく、「ウソ情報の洪水で“真実”を埋没させる」策略はたいへんな成果を収め、一般大衆は権力(政府・マスコミ)の思想誘導にモノの見事にコロコロと騙され、事実上「知の解放」を無効化させることに成功しました。こうした動きに関して、当時、社会評論家の大宅壮一氏がうまいことを言っています。

一億総白痴化

 こうして、まるで「すごろく」において「あがり寸前で“ふりだしにもどる”を踏まされた」ような状態となってしまいます。

21世紀における「知の解放」

 しかし。21世紀現在、新たなる技術革新が、ふたたび「知の解放」現象を起こしています。

 それが「インターネット」です。これまで権力側による「思想誘導」が可能だったのは、情報発信が権力側からの一方通行だったからです。

 これにより権力側の隠したい情報は庶民に伝えられず、権力に都合のよい情報だけが垂れ流され、あるいはたとえ「事実」であっても印象操作をして思想誘導を図ることが容易でしたから、これに国民は翻弄されつづけてきました。

 ところが、インターネットの普及により、一個人が全世界に情報発信することが容易となったことで、権力側が隠したい情報も開けっぴろげとなり、権力がこれを統制することが困難となってきます。

 たとえば、昔からテレビ番組など「やらせ」のオンパレードでしたが、一般大衆はそれを「事実」として真に受けて観ていたものでした。しかし今は、すぐにネットで「やらせ」が曝露されるようになり、テレビ局の思い通りに番組が作りにくくなっています。

 マスコミによる報道も、偏向報道など当たり前のように行われ、これまで大衆はそれを鵜呑みにしてきましたが、最近はすぐに偏向報道が曝露されるようになりました。

 「ブラック企業」にしても、そんなものは昔から存在していましたが、昨今、頻繁に話題になるようになったのも、ブラック企業の実態をネットで暴露されるようになったからです。

 つい先日も、某ゼネコンが「子供たちに誇れる仕事を」というスローガンを掲げるや、

「うちと付き合い続けたかったら原価で作業しろ」とか、
  諸経費に消耗品代入れたら「そんなもんお前らが負担しろ」とか、
  てめえらの工程ミスで現場飛ばしても一言も謝らずに圧力かけるのが
  “子供に誇れる仕事”だったのか!

 …などとツイートされ、炎上する有様です。これまで「臭いものには蓋」をするのが容易だったのに、ネットがその蓋を一斉に開けはじめたため、権力側が困惑している現状です。

歴史の流れに逆らう者は必ず滅びる

 ここまで見てまいりましたように、ひとたび「知の解放」が起これば、時代が大きく動きました。そして今まさに、世界中で「知の解放」が起きています。

 古代における「十二表法」、中世における「活版印刷術」、近代における「義務教育」、20世紀における「ラジオ・テレビ」が導入されたとき同様、我々は今まさに「歴史が動く」のを目の当たりにしています。

 過去、「知の解放」に逆らった者はどんな大帝国であろうが亡びの道を歩み、これに準ずる者だけが新時代を生き残ることができました。

 現在、政府もマスコミも企業も、ネットを持て余し、翻弄されていますが、それこそ「新時代」についていけてない証拠です。歴史に取り残された者は例外なく亡びます。

 たとえば、現在、中国や朝鮮は、ネットを抑え込もうと必死ですが、これこそ「歴史に逆らう愚行」。

 今まさに暴走が止まらなくなっている北朝鮮と、これを擁護しつづける中国。「同類相哀れむ」ではないですが、こうした視点からも、中国も北朝鮮ももう滅亡がすぐそこまで近づいていることを歴史が教えてくれます。

 これは他人事ではありません。

 現在の日本社会にしても、たとえばテレビ局などは盛んにネットを敵視していますが、そうした姿勢こそが、幕府が新時代を生き残ることができなかったのと同様、テレビ業界が“オワコン(終わったコンテンツ)”であることを示しています。

 敵視するのではなく、どうすればネットと共存できるかを模索できないならば、その国や企業、組織は歴史の中に埋もれて消えゆくことになるでしょう。

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