Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

組織の"わからない"に対する不快感

組織の中で何らかの歪みを感じる時、その根っこにはある人が関係する物事について「わからない」「知らない」という感覚があることが多い。

例えば「なんでこんな非論理的な意思決定するのか。アホじゃないのか」と感じた時、本当にアホなこともあるかもしれないが、判断材料となる情報が正しく伝わっていなくてそう感じるだけということも多い。1対1で色々聞いていくと「なるほど、たしかにそれならそうなりますね」と納得できるのに、情報が欠落しているだけで不和を生むのだ。

情報だけではなく、人格も同じである。仲のいい人から言われる冗談は笑ってやりとりできても、よく知らない人から同じことを言われると嫌な気持ちになることもある。

組織において、こういった「わからない」が積み重なると雰囲気が悪くなっていく。「あのチームは」「あの人は」といった形でわからないものを自分とは違うものとして表現して、一体感がなくなるのだ。なんだか少し喧嘩みたいなコミュニケーションになりがちだと感じた時は、自分と相手の知識や認識に差があることが多い。わからないこと=コントロールできないことが増えると、自分から主体的に動くアクションも減っていく。この話は、エンジニアリング組織論への招待で「情報の非対称性」という言葉で表現されている。

この「わからない」ということに対する不快感って、会社組織に限らず人間誰しも持ち合わせているよなあと思う。例えば仲良しグループ3人組で、2人が知っていて1人が知らなかったみたいな話とか。コロナ状況下での政府の方針に対する反応とか。疎外感なのか、自分がコントロールできない物事に対する恐怖心なのか、多かれ少なかれ嫌な気持ちになって心がもやっとするものだ。

この組織の「わからない」に対する不快感は、誰しも持ち合わせている。その前提で、「わからない」を減らすアプローチをとっていかなければならない。

情報の透明性という点だと、レポートラインの整理、ドキュメント文化、そのための教育など。1on1とかで「今組織においてよくわからないことはあるか」みたいな話をしてもいいかもしれない。チャットコミュニケーションの問題と心理的安全性の課題 #EOF2019 は何度読んでもよい資料である。

人格という点だと、入社時のオンボーディング設計、チームビルディング、雑談の設計など。こういうの得意な人羨ましい。

逆に自分が何らかの不快感を感じた時は、そのまま感情をテキストにしたり顔にだしたりする前に「何かがわからなくて不快に感じているのではないか」「自分が把握/コントロールできるようにするにはどうしたらいいか」と考えた方がいちいちイライラしなくて済むのでオススメ。

小さな不快感がつのると大きな歪みになるので、こういう取り組みを意識的にやっていかないといけないなーと『ひぐらしのなく頃に 業』を見ながら思った。